覚者慈音108   大霊界  未来観その三   教主寛大講義

未知日記講義第一二巻  大霊界    巻の弐                         NO66                                      未来観 その三                                                                  教主寛大 講述


 例へば心臓のはたらきが静止すれば、全身悉くが休止して死体となる。然るに又も心臓に力を与ふれば屍はよみがへりて又はたらきをなすならん。其等と同様の事柄を数限りなくあるなり。全身悉くが用をなさざる底に迄到って、其れにて身体のすべては休止すれど、是等を無始終霊子に立ち返らしむれば、
又も新しき組織をなして肉体を作ること難きにあらず。肉体全部を失ひたりとて無始終霊子は失はるるものにあらず。人体は細胞組織によって構成せられたるものなれば、時間空間の必要ありて限度あるが故に静止すれど、時間空間なき無始終霊子は不滅なるが故に用をなさざる底に迄到らしむれば、是に分解作用を
与へて変化なさしめ、次から次ぎへと新しき組織をなすことを得るなり。
されば無始終霊子とは如何なるものかをよくよく考へ見よ。言葉によって認識せしむる事は難からん。 言葉の必要なくしてすべてを掌中のものを見る如き認識を得んとならば、大霊界迄進むにあらざれば得難し。大霊界に至らばすべてを我物となす事に依てなり。テッシン。セイキョウ。ミキョウの如く天界を知り尽したるに不拘、今尚行じ居るは何故ぞと深く追究して考察せよ。彼等は大霊界の位置に進み居るに不拘、今尚行じ居る事は不思議と思ふならん。然して彼等は云ふ。我等は神にあらずと。又我等は神の僕に他ならざるなりと語り居るところより考へを廻らさば汝等諸子の智慧にては到底推知することは前途遼遠ならん。天地間を自由自在にかけ廻る力ありとも、其は何になる事ぞの例に洩れざらん。果して其にてよきものなるかを考へよ。肉体の必要ある諸子には天地間を自由にかけめぐる事は思ひもよらざるべし。たとへ不滅なりとて無始終霊子に立ち返れば、又も他の姿に化せらるるの他なからん。
汝等諸子は今は人体を有す。無始終霊子に立ち返へり、次に他の動物に組織されなば、又も動物として日を送るの他なからん。空しく無始終霊子に分解さるる底のものに化せらるる勿れ。無始終霊子の原理より何か新しき発見をなさざるべからず。汝等諸子は人間一代を軽んじて死せば、其にて終りなりとの考へにて生活なし居るが故に、肉体は分解されて空しく無始終霊子となる。ここに一段進化したる何かの考へは起らざるや。無始終霊子を応用して、是を拡大強化せしむる事をなさざれば、米は白穂にて終る如く、米としての用をなさざる比喩と同様の結果となることに、意を用いずば、人間としての本分は全うしたりとは云ひ難し。

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