覚者慈音1113 未知日記 第六巻 光明論  光明論下巻 巻の十 完結篇  教主寛大講義

覚者慈音1113
未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の十 
完結篇
                     教主寛大 講義
                    2019.6.30


 感謝する心は信仰の現はれなり。仏を有難しと感ずるは信心のあらはれなり。神を忝なしと尊ぶは信念に属し、すべて宇宙或は全宇宙の徳より生ずる事柄に対して一切を、勿体なしとの感化に移さるれば是を正しき信仰者として我等は愛するなりと知るべし。汝等勿体なしと云へる言葉を理解する事を得ば幸福なり。兎に角勿体なしと云ふ信仰の帯をしっかりと結びてほどけざるよぅ注意すべし。三枚の衣をこの帯にてしめて服装の形を乱さざるよう心せば、汝等の姿に対して集ひ来るものみな尊崇の念を起して汝の前に頭を低くすべし。汝等の形は整ひたれどこのままにては人に接するを得ず。故に頭には冠を載かざるべからず。


 その冠とは何なるか。即ち霊光の冠ならざるべからず。霊光の冠を戴き足には自由の沓(くつ)をうがち、手には救ひの笏(しゃく)を持ちてここにはじめて完全なる姿整ひたり。霊光の冠とは如何なる冠なるかに関して語らん。霊光は神より下さるる尊き冠にして是は肌につくる衣とはその趣きを異にす。されば是はうやうやしく頭に戴かざれば即ち勿体なしの意味に通ず。霊光の威徳は汝等既に知り得たれば今更ここにに語るの要もなからん。されど今日迄汝等はこの威徳にうるほひながら、心の底より有難しとも感ぜざりき。是は霊光の威徳あまりに大にして、凡俗には到底予測し難きによるのみならず、汝等今日迄の生活については霊光は消極的のはたらき、即ち霊光の余波を受け居たるにすぎざりしによりてなり。然るに今日よりはその冠を戴くにより積極的即ち直波によって指導せらるると知らば、如何に広大なる恩恵に浴せらるるかは論ぜずとも察するを得るならん。厳主の光明燦として汝が頭上に輝く。焉んぞ悪魔これに近寄ることを得んや。安堵して職に殉ずべし。霊光は神の力なり。この力を頭に戴かば無極無限の智徳は願はずとも下されん。

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