覚者慈音94 8  未知日記 第六巻 光明論  下巻 光明論 巻の五   円海大師の言葉 仙人になるための修行

覚者慈音948
未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の六 
教主講、セイキョウ貴尊解説
悟道篇  上
仙人になるための修行
円海翁談


                円海大師 講述
                2019.4.21
                   219番


慈音さん !
どうぢゃな。貴下も一つやって見る気はありませんかな。まあ、想像しても見なされ。想像するだけでも身の毛がよだつぢゃありませんかな。其のみぢゃない。其から先の修行がとても貴下方の夢想だに出来ないきびしい法則ぢゃ。こんなつまらぬ事を何のためにするのかとさえ考へることは、二度や三度ぢゃありません。山を離れる者の多いのも推して知られませう。是も無理ぢゃないと思ふでせう。然し是位の修行で挫折するようでは、一切衆生の救済などとは思ひもよらぬことです。だから歯を喰ひしばって肉をさき、骨を刻って修行する外はありませんぢゃ。人間の煩悩は此位しなくては抑圧はできぬものを、慈音さんなどは仕合はせぢゃ。貴尊寛大の御慈悲で日々少しづつでも取り除かれて行くのは何と有難いことでせう。しっかり励みなされや。其から私は今に肉体を娑婆にをいてますので是も不思議に思ひませう。
(此時壱百八十才位、 慈声 註)
成程往生際が悪いと思ふのも無理はありませんが是には深い訳があります。そこで其理由について申訳と云ふでもないが説明しませう。
 決して生命が惜しいのでなければ娑婆に未練があってでもありません。又不老不死の勤行をするのでもありません。先刻も話した通り一切衆生のためと云ひますと、貴下方は思ひになりませう。郷に居て人交はりをして居てさえ人類のために尽されないのに、深山幽谷に遁世して居て一切衆生のためなどとはどうしても合点が行かぬ。又そんなことが如何なる通力自在の技術(わざ)あるとも、学説から説明の余地は出来ぬと云ふだらふけれども、其は何も知らない人の考へで事実は出来るのです。其なればこそ修行するのぢゃ。不思議な魔法使ひにならふとてこんな労苦はせぬ筈ですぞ。私達の同志の総ては大半は縁の下の力持ちを喜んでやって居ますぢゃ。娑婆に住む多くの人はおろか鳥獣のことに迄救ひの手をさし延べて居ますのぢゃ。朝起きてから夜眠る迄、すべての業を衆生のため祈りつづけて休む隙とてありません。

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