覚者慈音94 7   未知日記 第六巻 光明論    下巻 光明論 巻の五    円海大師の言葉

覚者慈音947
未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の六 
教主講、セイキョウ貴尊解説
悟道篇  上
五味は如何にせば整へ得らるか
円海翁談



                円海大師 講述
                2019.4.21
                   218番


 元来、私達の仲間と云ってはをかしいが、まあ、同志者とても云ひますか、其が世界中(地球)大抵の国に散在して居ます。然し昔と違ひ現在は余程その数も少なくなって居ますが、其でも小一万は算へられませう。ええ、そんなにあるかって!    ハハー・・・・・
ありますとも、世界中ですもの、せまいようでも小一万人位が散らばって居ては何處に居るかは知れません。其に人の往来絶えて無き深山高山ですもの分かる筈はありません。其に人に会ふことを好みませんから直ぐに隠れてしまったり、又巧みな業で濫りに行場へは寄せつけませんからなあ、其にみだりに人を入山せしむるを許しません。其ぢゃから行場道場は容易に見つかるものではありません。行者の中には色々な人が来ますが修行半途にも至らず下山する者は多いことは適水の話の時申した通りぢゃが、修行者でなく隠遁生活をして居た人も可なりありましたが、今ではごく僅少ですけれど残って居ます。処で此隠遁者と行者と混同せられて誤解される点は少なくないのぢゃ。隠遁者の中にも可なり修行の出来たものがあって、往来の人に対しては自慢でなく色々な魔法を使って驚かすものぢゃから其を行者と誤解するので修行者は迷惑することもあります。然し是等は初心者で少し術(わざ)の出来たものには何の反響もありません。そんなことはともかく入山者としての第一の要点は己の欲する一切の欲望を放棄して一切衆生を救はんことの望みを立願せよと。是が最も大切な法則です。
 慈音さん。分りますかな。自分と云ふものから離脱して人類ばかりでなく一切衆生を救はん。否々一切衆生のため犠牲となろう。犠牲としていただかうと云ふ大願を立てて入山を許してくれと誓詞誓文を納むるのです。其で入山を許されるかと云うふとそうぢゃない。其からが難行です。先づ一まわり(七日)の断食をさせて、其がすむと翌日は弁当を持たせて薪取りに遣り、彼が空腹に堪えかねて食事せんとする時、一人の乞食をつかはして彼の弁当をねだる。是を快く施すと今度は行力で猛獣を遣はして彼の肉体を食はんとなさしめ、是も恐れず肉体を餌食にさせようとするだけの観念あるやを試めし、其が通過すると一人の賊をつかはし剣を彼が胸先に突きつけて生胆を取らんとなさしむる如き数々の試験を行ひて、其全部が通って初めて入山が許されるのです。 

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