覚者慈音94 9  未知日記 第六巻 光明論  下巻 光明論 巻の五   円海大師の言葉 仙人になるための修行

覚者慈音949
未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の六 
教主講、セイキョウ貴尊解説
悟道篇  上
仙人になるための修行
円海翁談



                円海大師 講述
                2019.4.22
                   220番


 処が中に隠遁して色々な魔法を会得した輩が、是を邪魔をするのが中々多いのです。是等の障碍を除去するには余程の技量が必要ですから有力な行者を養成しなければなりません。そこで私たちは今少し生きて居て修行者の養成に努めなければならぬと云ふ訳なんです。
 そりやもう天界に昇らして頂いてからでも貴尊方のやうになれば、下界に居ると同様ぢゃが、私等にはまだまだ其は許されません。そこで余儀なく肉体を下界にをいて居る訳です。お笑ひ下さるなや。私も修行は決して怠っては居りませんぞな。オオ、何ですって?       衆生を救ふとはどんな行ひをするのかって、かな。貴下は今日本の政治家が国民のために種々様々の法を構じて政府から県庁へ町村役所へと命令を下して居ませう。其が電報だとか、電話だとか或は文書とか、或は汽車、汽船で人を遣はすとかするのですが、此方法に似たことを私等の同志にもやります。是を名づけて大智順歩の法と云って、即ち大なる智慧に従ひて進むの意味なんです。此法は智慧から智慧に伝へますので丁度電話や電報文書通信に等しいものです。是によって行者同志の連絡は充分に果され論議も充分交はすことが出来て不便を感ずることは決してありません。座して居て千里の遠きも一室にあると同様なんですからなあ。そこで論議が一決しますと、是を天界に報告して是非の批判を仰ぎます。是と仰せらるれば直ちに実行にうつし、非との命なれば直ちに撤回します。其ぢゃによって世界の人心に及ぼす影響には種々様々の変化を来し向上を計って居るのですが、ここに不逞の行者が邪魔をしてその向上発展を妨げるので是を排撃するためには仲々一通りの労苦ぢゃありません。とかく人間は肉体の安楽を求て居ますから、どうしてもその方には傾き易いものですから、其処をねらふ不逞の行者には苦められますぢゃ。
 慈音さんも気をつけなければなりませんぞ。貴下の方にも手は延びて居ますから油断はなりません。尤も貴尊方や、寛大の守護あるに不拘其でも慈音さんがぐらつくのは、彼等不逞の徒の仕業ですから、そんな時には静に貴尊方や寛大の胸におすがりなされや。
 大智順歩の法に依て世界中の同志が手をつないで思想の改善を計るのみぢゃありません。然し是等のことを私から話さんでも何日かは貴尊寛大に依て修得せらるることと信じますから此処には其話を止めませう。
 うかうかと下らぬ長話で貴尊のお邪魔をして了ひました。私も饒舌鳥の仲間入りをして終ひました。では此辺でお別れしませう。終りに慈音さんに一言申します。其は貴下の心境に変動があったら不逞の行者の仕業ぢゃと感じなされや。では此辺でおいとましませう。さようなら !  ご機嫌よろしゆう !

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