覚者慈音937  未知日記 第六巻 光明論  下巻 光明論 巻の五  絶対自然とは如何なるものか  セイキョウ貴尊講義

覚者慈音937
未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の六 
教主講、セイキョウ貴尊解説
悟道篇  上
絶対自然とは如何なるものか


               セイキョウ貴尊 講述
                2019.4.18
                   209番


 汝等は衣食住に於て肉体を整ふるも住み易き肉体の家を建設なすに他ならず。其家に住める者の誰なるか。今是を他の例をあげて語るならば肉体を土壌と仮定せんか、其肉体の土壌に充分の肥料を施しよく耕して、一個の種子を蒔きて是を育つるに等しかるべし。その種子とは人間とも或は人とも云ふなり。斯くして是を立派に発芽せしめ花を開かせ実を結ばしめずば、土壌の任務をなしたりとは云ひ難し。汝等人と云ふ種子を蒔かずして種々様々の悪き種子を数多く栽培なし居るにてはあらざるか。たまたま人の種子に心附きたる頃には既におそく、他の種子は養分を奪ひ居りて人の種子は漸く芽生えたるに過ぎざるなり。汝等ここに至っても尚心づかず、他の雑種を育つるに汲々たり。多くの人は雑種のみ栽培して人の種子を腐食せしむる者は多し。汝等早く人間の種子ある事に心附きて他の雑種の根をぬきとりて、養分を人種に集注せしむる事に尽力せざるべからず。然らずば人種は枯死して雑種のみ繁茂せば悔ゆるも其甲斐あるべからず。汝等教主より五味の木の話を聞きて何の感じも起さず、無為に聞きのがし居るは何たる無智ぞ。是等の中に含まれある一大事に心附かずば、汝等は教主に教へを受くる資格なし。よくよく真剣に修養せよ。
  汝等五味の木の教へは教主が如何なる教へありて説かれしと考へ居るか。先づ一本の木を一個人と仮定して考究せば人間には喜怒哀楽あり、生老病死の苦あり。世の中を渡るには辛酸苦渋の悩みもあるならん。其総てをなめ尽して此処に始めて真の人となると言はれあるにてはあらざるか。たとひ辛酸甘苦をなめたる人と雖もなめたりとのみにて何等の効果はあらず。是を充分に咀嚼して己の修養となさざれば其効果顕著ならざるべし。此五味の木の如く一味々々をあまさず咀嚼分解し、是を貯へ己がものとなし、最後に至って是を有益なるものに組織して、他を救ふ糧となして己が天分を全うするに至る。人もし此理の教へを守らば人間の本分は尽くされん。教主の第一の教へはここにあるべし。辛酸甘苦をなめたる人にして初めて人の徳は現はるれ。是をなめずしてうかうかと親の財産に依て易々喰ひ眠りて空しく世を終りたる人に何の徳あらん。生涯を無味乾燥にして実に憐むべき一生にて徳の現はるべき由もなし。

×

非ログインユーザーとして返信する