覚者慈音929    未知日記 第六巻 光明論    下巻 光明論 巻の五    悟道とは如何なる事を悟するか

覚者慈音929
未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の六 
教主講、セイキョウ貴尊解説
悟道篇  上
悟道とは如何なる事を悟するか



               セイキョウ貴尊 講述
                2019.4.13                         203番



 今や日本は四等国とか五等国とか云はれ居るならずや。人類の価値を定むるに何を標準にして等級を附するかは別として、唯戦争を好むが故に人位は低しと云ふならば、そは人間の価値を定むる標準とは云ひ難からん。戦争を好むは野蛮人とのみにては限らざるべし。もし聯合国が敗戦なしたらば日本は一等国人種となりて、彼等は劣等人種とよばるるにに至るやも計られざりしならん。我の悟る処あらんと言ひしは斯る事にはあらず。破れし者の心理状態に変化し来る姿と、戦ひ最中の心理状態、更に退いて戦ひを初めし頃の心理状態を比較して其変化の差を取り去らずば真の人間の姿を知る能はざらん。平然として戦ひ、平然として破れ、終始一貫しある人間にあらざれば真の人間とは見なし難し。戦ひて勝てば嬉々として雀躍し、破れてここに周章狼狽して唯嘆き悲み恐れ戦く等の有様にては人間の真の姿とは云ひ難からん。人間は感情の動物なりと云はるるならば人間とは物事に対して、彼是と思ひわづらふ人間は果して感情に走り易き者を指すか。又如何なる事に対しても臆せざる底の人を指すかについて汝等何と考ふるか。動ぜず騒がざる人を大人として其底の人物たらんと修行するならば、必らず斯る人物になり得らるるかと信ずるか。我は言ふべし。人間の悟りとは斯る底にあらずと。物に動ぜず国家を背負ふ底の人が、汝等の世界に帰かりや。若し世界中の人類悉くが世界中を双肩に担って立つ底の人格を有するに至らば又其に勝る人物は出現するは当然ならん。汝等は四等国五等国に低下せしめられて余儀なく屈従なし居るも、国家を双肩に担って活躍なし得る人材の少なきによりてならん。汝等悟るはここなりと工夫せざるべからず。汝等が国日本として戦ひ破れたる責任はもとより軍に帰せしめあれど、若し優れたる人物出でて無法の戦ひをなさしめず時期の到来を計り、国を整へ徳義を重んじ東洋各国より真に日本を尊敬せしめなば、戦はずとも慕ひ来りて平和の裡に固き手を握るに至らん。即ち国家に真に正しき人無かりにより四等五等に顛落して他国の足下に跪くに至りしも、詮なき事とあやまり諦むるは殊更愚なる事ならずや。されば早く此誤ちの心を捨てて速に迷夢より醒めざれば真のさとりは得られざるなり。

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