覚者慈音923  未知日記 第六巻 光明論  下巻 光明論 巻の五  セイキョウ貴尊講義

覚者慈音923
未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の六 
教主講、セイキョウ貴尊解説
悟道篇  上


               セイキョウ貴尊 講述
                2019.4.03                        199番


 汝等口にする大和心を忘れしか。即ち大に和する心(だいわしん)、是大和魂ならずや。其心を汝等日本心と云ふならずや。然るを武士道精神とて戦ふ心とあやまり考ふる故に和するを得ざるなり。大に和する大和心に立ち返りなば、正しき民主政治は行はれ隆盛なる国家は建設せらるるなりと断言して我は憚らざるなり。例へば日本の天皇に対して汝等国民は天皇を高き処に祭り上げたるは誤りなり。明治天皇の歌に「罪あらば我を咎めよ天つ神、民は我身の生みし子なれば」とか云へるを聞きたり。然あるべき事なり。然らずば君民一体とは云ひ難し。天皇を高き所に祭りあげて何の効験ありや。斯る事をなすならば天皇は神棚にある護符に等しく又偶像にすぎざるべし。宜しく天皇を車の心棒の如くに思はざるべからず。然せずば天皇としての本分を尽す能はざればなり。或は独楽の心棒の如く考へて可なるべし。聖徳太子が十七条憲法に於て和を以て尊しとなすとあるにてはあらざるか。是ぞ日本民主主義要訣ならずや。我が日本に在りし頃(セイキョウ貴尊は日本人として在世されしなり。 慈声 註)は、農夫を百姓とよびて大いに尊重したりしが、織田、豊臣、徳川と経る毎に是を奴隷の如く低下せしむるに至りたり。又農夫樵夫なども余儀なく屈従して果は農夫とは身分低き業なりと自己暗示に依て是が向上せず、今日に至りたり。是習慣性暗示に依るなり。されば汝等子供を育つるにあたって不健康児に不健康と云ふ暗示を与え、又発育不良の者に愚者なりとの暗示を与ふる事を固く慎むべし。


 慈音は母より観音を信仰せよとのつよき暗示を受けて彼の信仰力をたかめしめたり。暗示を暗示作用には特に注意せざるべからず。又暗示作用には不動を動に化せしむる作用あり。例へば術者の被術者に対して、「汝は此大樹に思ひをかけ居るにより、大樹は汝の恩恵に感じて汝を常に守り天変地異を感じて、汝が身辺に危険あらば必ず是を伝へて危難を免がれしめん」との暗示を与へをかば、是によって事ある毎に樹木の精と称するもの現はれて危難とか吉事等のあることを告げ知らすものなり。是は樹木の精などにあらずして汝の魂魄が心意に伝ふ姿なり。故に是は山彦の木霊(こだま)の如く、汝に出でて汝に返ると同様の現象にてお守りの護符の作用も皆暗示現象による。偶像に対しても亦同様の関係なることも推して知ることを得るならん。その他妖怪変化論に関しても深く追求して考察せばすべては暗示作用の現はれなる事を察知せらるるなるべし。

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