覚者慈音924  未知日記 第六巻 光明論  下巻 光明論 巻の五  セイキョウ貴尊講義

覚者慈音924
未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の六 
教主講、セイキョウ貴尊解説
悟道篇  上



               セイキョウ貴尊 講述
                2019.4.08                         200番


 さりながら此処に汝等が今迄教へられたる多くの宗教者の言に依て是を理論的解釈の及ばざることあり。そは他ならず。釈迦キリストが死人を蘇生せしめしとか、又彼等が蘇生せしとか云へる奇蹟現象なり。斯る事は伝説にてとるに足らざる無根の説なりと一笑に附するあり。又彼等は神仏の化身なるに依て斯る事を行ふも敢て不思議にあらずと是を無条件に信ずる事を得るや。一笑に附するも智慧なく無条件に受け入るるも亦智慧なし。汝等是等の奇蹟に対して深く考慮せざるべからず。然らずば悟道の開拓は得られざるべし。是等に関しては追々説明する所あらんも、今暫時多方面より論旨を進むべし。
 話を前に返して今少時暗示について語る事あり。暗示の種類は多けれども是を大別すれば自力他力の二種に分類せらる。然して更に是を有無に分ち観察なす事を得るなり。されば自にも有無あり、他にも有無あるなり。所謂有形と無形との二種あるを以てその範囲は非常に複雑をきはむれども根底に返して験すれば、魂魄より心意にうくる現はれと、心意より魂魄に及ぼすとの相違に他ならざるなり。暗示に依る影響には亦反射力と云ふ力の作用ありて暗示なかるべからず。汝等の侵入を防止するを以て受け入るると又受け入れざるとの区別あるなり。疑ひ深き人は暗示を受け入るる力少なしと云ふも反射力の働きによるなり。暗示が心魂に徹するにあらざれば効果なしとは催眠術者の説く処なり。されど反射力の強き者は魂魄に徹するに至らしめずして妨害なすによって効果は現はれざるなり。されど反射力は雲の如くにして払へども来る、始末に困難なるものなり。されど是を吹き払ふべき風なかるべからず。汝等此風とは如何なるものなるかに心すべし。暗示は巧妙にして如何なる人にも魂魄に徹するにあらざれば通ずるも効果なしとは既に説きたり。此処に一例をあげて参考とせん。
 汝等部室を掃除するにあたって風に向ひて箒を使はば塵埃は浮きたつのみにて清浄するを得ざらん。是を風に逆行せずば部室は清めらるべし。反射力は風の如し。されば此風に逆はずして暗示を送らば必ず通達す。此処に一人の反射力強き人に対して汝の嗜好は何かと問ふ時、彼は何々と答ふるならばその嗜好に共鳴して彼と語らば、彼は反射の力を起さずして得々たるその無我の間を利用し計りて無字暗示を送らば、容易(たやす)く通達して徹底的の作用をなす。是即ち風を応用して部室を清むるに等しき理なり。

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