覚者慈音910   未知日記 第六巻 光明論   上巻 光明論 巻の五   天地創造の妙  教主寛大講義

覚者慈音910
未知日記 第六巻 光明論       
上巻 光明論 巻の五 
明鏡篇  その五
第五の明鏡   その3
天地創造の妙



                教主寛大 講述
                2019.⒊30                        185番


 前にも説きたる如く無極無にも動ありて、総ては構成又は破壊せられつつありとせば不動は無きかとの質問ありしが、動と不動、静となかりせば総ては構成せらるるものにあらず。又永久不変の宇宙は保持せらるるものにあらず。動中に静あり。静中動あり。又動に不動あり。不動に動あり。又静に止あり。止に静あるを以て一切(すべて)は保ち、一切(すべて)は増減変化して或は和し或は離れて進化発達の道を開拓するなり。動には振を伴ふ。振は上下左右前後斜めに波状を示めす。波状は縦横に高低とうねりあるならん。然りとせば此波状は一方に上れば一方は低し。故に是が一方動なれば一方は静の関係となる。然してその高低の中心は常に不動とも見らる。或は絶対動とも判定することを得るなり。是即ち動不動一体の境涯なればなり。然り、然して此高低うねりの波に於て動には圧力を生じ、静には引力を誘ふ。故に動静は共に動に帰するの道理なるべし。然して動静は同時に行はるる引圧の働きなれば、引圧も亦一体となるとも見らるるならん。されば不動も動に帰し、動も亦不動に帰す。然して止とは休むと雖も、動かんが為の準備にして其が理論も亦動の部類に属すれば、すべては動に帰し又不動にも帰せしむることを得ん。されどそは相対にして絶対ならず。即ち絶対とならばすべては動にして動に帰し又不動にも帰せしむることを得ん。されどそは相対にして絶対ならず。即ち絶対とならばすべては動にして不動は絶対に帰するを得ずして、動不動が一体となるによって不動は消滅して動に化せらるるなり。故に動は永久不滅なれば霊は消滅せずして動じ居るなり。此理よりすべてを観察すれば滅する者には霊を存せずとの結論に達せん。汝等此説を聞きて又も新しき感じより更に又迷ひを生じて漸く了解し来りたる事柄も亦迷宮に入るを覚ゆるならん。又今迄の宗教者に依って説かれたる天国、或は極楽世界などの説によって信じ居たる処の余りにかけ離れ行くにより、何れに信ををくべきかに思ひ惑ふならん。されど我の説く処は鏡に現はるる処と決して毫も相違しあらざれば暫時おちつきて、結末迄よくよく眼を止め耳をすまして聴くべし。

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