覚者慈音904   未知日記 第六巻 光明論  上巻 光明論 巻の四 すべてを霊に帰せしめよ 教主寛大講義  すべてを霊に帰せしめよ   教主寛大講義

覚者慈音904
未知日記 第六巻 光明論       
上巻 光明論 巻の五 
明鏡篇  その五
第五の明鏡   その2
すべてを霊に帰せしめよ



                教主寛大 講述
                2019.⒊26                        179番


 先づ汝の肉体を空にせよ。然せば他のものはすべて空とならん。即ち汝等に取りて最も大切なるものは肉体を措いて他に大切なるものはなかるべし。故に此大切なる肉体を空となす方法を用いなば可なるべきなり。肉体を空にせよと云ひたれど、是を空虚になさしめよと云ふにあらず。又事実斯る事に化せしめ得らるるものにあらず。空ならしめよと云ふは、即ち肉体に囚はれざる底の明らめをなさば即ち空となりたるにて肉体は唯肉体として個性を全うするに過ぎざるなり。汝等は肉体の要求に囚はれて肉体の本分以上のものに鍛えあげんと努力するによって肉体は空とはならず。実在性に進転して止まる処を知らざるに依て自然無理を伴ひて労苦を誘導するなり。
 我の汝等に要求する処の肉体を空ならしめよとは即ち肉体を霊に帰せしめよとさとすなり。霊光より霊に通ひ、霊より魂魄心意に通じて更に肉体に及ぶ。故に肉体を霊に帰せば其にて肉体の使命は果されたるによって空となるなり。空となりて初めて肉体は安楽の境涯に入る。汝等一日の業を終へて家内睦じく夕餉の膳に対ふ時、其日の労苦を忘れて楽しかるべし。然るに一日疲れはて、我家に帰れば家内に争ひあり、燈火は消えて小さき蝋燭の下に食卓を囲み、皆苦り切りたる顔色にて口もきかず食事せば、如何に珍味佳肴なりとも美ならず、不快の念に充たされて一日の労苦に更に労苦の加はるを覚ゆるならん。しかのみならず斯る状態が永続するならば営養は失はれて病苦を招く。是等は周囲の環境が伴ふ。されど今是を肉体についてのみ観察を下し見れば如何なる結果を誘発するかと云ふに、眼耳鼻より受くる障碍は食物に反映す。即ち食物を先づ眼に依て、或は鼻に依て味覚を生ぜしめ、又器具によって或は物の名を耳より受けて味覚をそそらせて最後に口に入れて初めて美醜を感ず。是ぞ即ち心の迷ひなるべし。
 テツシンが語りし如く厠の行者の食物も金殿玉楼にて味ふ食物も、食と云ふ結果に於て異なる事なきも心の迷ひより様々の変化を生ずるならずや。故に心魂意魄を整へて肉体を監督すれば肉体は心魂に従ふを以て、即ち肉体は空の働きとなりて霊に帰すべし。肉体が霊に帰するに従ひて真の健康は保たる。然らざれば肉体は永久の苦を清浄する能はずして常に不平不満に生涯を終るなり。肉体を心意魂魄霊の三気に任すれば凡ては明らめらる。人は明らめは大事なりと称するも是なり。明らむる力も自然ならざるべからず。苦みて余儀なき明らめをなすは不自然にして根を残して草をぬきたるに等し。此明らめは事に処してまたも想ひ出となるなり。即ち心の底より明らめよと。然して心の底は霊を指すと知るべし。

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