覚者慈音902  未知日記 第六巻 光明論  上巻 光明論 巻の四  すべてを霊に帰せしめよ  教主寛大講義

覚者慈音902
未知日記 第六巻 光明論       
上巻 光明論 巻の五 
明鏡篇  その五
第五の明鏡   その2
すべてを霊に帰せしめよ



                教主寛大 講述
                2019.⒊26                        177番


 
 汝等が心の底迄堀下げて何かを求め見よ。然る時心の底に何物か存在しあるや。眼にも見えず耳にもひびかず、手にも触れず然して無かと思へば何やらあるが如く感ぜられ、有かと考ゆれど無し。是には汝等も迷ひ迷はさるるならん。人は明日をも知れぬ運命を、否一分一秒先をも知らぬ運命を持ちながら是を無意味無意義に送り居るを我等は不憫と思ふなり。空腹を感じて食を求むれど心に空を感ぜざるは不思議ならずや。肉体は様々の要求をなし居るに心は何故に何等の要求をもなさざるや。汝等ここに意を用いて心に何か要求なきやを尋ね見よ。そは答へざるべし。衣食住に事欠く間は分別なく、衣食住漸く充たさるれば始めて、そこに余裕生ずるに依て何かを求めんとなすは事実なるべし。其は娯楽か趣味か何かにつけても心の満足を得んと計るならん。汝等は肉体の要求を得んが為に心密かに求めつつありしものは智慧なりしならん。肉体の満足を得たりし後の要求はと思惟し見よ。老人の寺参詣は何を求めんためなるか。表面は後生を願はん為と称し居れど内面を判定して調べ見よ。後生を願ふの寺院参詣は実は世間態を計るに過ぎざる人の多きを我は知るなり。斯る事も総ては肉体要求の寺参詣にして退屈しのぎの時間つぶしにて三人五人と集る人前が恋しさの参篭に過ぎざるなり。汝等先づ真実求むる希望を我に求めよ。我必ずその希望を叶え得さすべし。汝等は肉体の要求を充たさんが為に日々の業務に励み居るなり。一日働かざれば一日喰ばざる底の人は果して幾何ぞ。汝等は斯る人の心を知るや。喰ひし上にも尚遊びて喰はん事を望むは多かるべし。
 一日働かずとの心持は如何なる意味なるかを想像し見よ。働くとは何か。汝等の働きは食せんが為の務めに過ぎざるなり。政治家は喰はんが為の政治を行ひ、学者も亦喰はんが為の学問にすぎず。故に真の政治家真の学者は出でざるなり。一日働かずばとは、一日正しき行ひをなさざればとの意味、一日喰はずとは恵を受くる価値なし。即ち行ひ正しからずば恵は得られじとの教へを食物に例をとりたるなり。

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