覚者慈音888   未知日記 第六巻 光明論   上巻 光明論 巻の四   五味の木の話  教主寛大講義

覚者慈音888
未知日記 第六巻 光明論       
上巻 光明論 巻の五 
明鏡篇  その五
第五の明鏡  その一
五味の木とは 五流界の世界



                教主寛大 講述
                2019.⒊ 21
                    165番


 此樹木を霊光の説より見れば我説く処の論旨は、汝等に理解を与ふるに適せんと思ひてなり。汝等よく考ふべし。此五味の木の如く一本の木、一本の根よりして異なる実を五度も結ぶと聞きて唯珍しき樹木なりと感心に終るなどは修行者のとるべき道にあらざるなり。修行せんとなす者は此珍木ありと聞かば霊光は斯る事迄もなし得る働きあるか。然して是が多くの人の命を保たしむる力ありとせば、如何に霊光空源力の働きの優れたるかを考へて、更に是を己が身に引用して速かに霊光の恩恵を獲得せんことを願ふべき筈ならずや。又汝等が日々食し居る米に於ても同様なるべし。其はそれとして五味の木について先づ考へ見よ。
 辛酸甘苦渋を人工にて作り出さんとせば其に対する物資と機械と人力とは多大にして容易のことにはあらざるべし然して是を化合して営養価の豊富なる食料となさんせば如何に努力を要するかを思ふ時一本の木、一個の根によりて場所も少なく時間も汝等が世界の一年に相当する間に、四度収穫を見ると云ふに至っては驚異の眼を見張るならん。その上此樹木は肥料とか耕作の要なく唯最初植えつけなしをかば、自然に成長し自然に実を結ぶと云ふ実に手のかからぬ珍木なれば小児にても容易く栽培し得らると云ふ調法なるものなり。霊光の力は善悪を嫌はず同化して是を霊光に帰せしむるが故に悪をさりて善に化するの理を五味の木にたとえて汝等考へを廻らして自覚せよ。我、是を汝等に問題として暫時説明を保留しをくべし。

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