覚者慈音863    未知日記 第六巻 光明論  上巻 光明論 巻の四  真の陰徳とは 教主寛大講義

覚者慈音863
未知日記 第六巻 光明論       
上巻 光明論 巻の四

守護霊についてそして
真の陰徳とは

                教主寛大 講述
                2019.⒊ 04
                       141番


 今慈音は我にむかひて、先祖の霊が人々の守護霊となり居ると聞きしが其は事実なるかとの質問ありたれば、此講を通じて回答せん事を約したれば約を果すべし。斯ることを一言にて無と答ふれば汝等は呆気無く感ずべければ詳細に説き聞かさん。
 人滅すれば下界のことはすべて忘れて何事も覚えなきに至るなり。唯残るは念のみにして此念と雖も年月を経るに従ひて消滅す。恰も日向にある氷の如し。魂魄は霊に導かれて上昇す。されど下界の有様を知るは肉体を有する心意の知覚なるにより魂魄は是に和し居たりしに過ぎず。肉体を離るれば心意は是に応じて消滅す。故に魂魄は唯霊にひかれ居れど下界の様などは忘れはて記憶せざるなり。然して天界に到り再度下界に下さるる時は既に以前の霊にはあらぬ他の霊に誘はれて再生するなれば、偶然身内に宿るは知らず。斯る愚説は一種の錯覚より伝はる伝説なり。又宗教者の世迷事と聞き流して耳を籍す勿れ。誤信は行の妨げとなりて何等益せざればなり。霊媒者と称する者の中には迷信多ければ注意せよ。慈音に対する返答を汝等にも聞かせをくなり。茲に一言附言しをくことあり。血族性のながれは有形なるが故に肉体を通じて現はるれど、魂魄は決して連綿と同じ血族に通ずるものにあらずと知るべし。話を本旨に返へすべし。
 陰徳陽徳に対しても汝等は誤解し居る事に気附きたればいささか注意しをかん。汝等は陰徳とは秘密とか或は蔭を聯想し居るならん。其こそ大なる誤解なり。なるべく人の眼を避けて行はんなどは心得違ひなり。貧者に金品を施して己の姓名を語らず立ち去りて、却てその貧者をして罪に陥るる等の例は少なからず。斯る行ひは陰徳の模倣とも云ふべくして真の陰徳にあらず。又秘密に善根を行ひて得意になり居るも同様なり。然らば如何なる行ひが真の陰徳かと云へば人の眼を避くることなく、人より問はるれば何々をなし居るなりと答へて憚る処なく、人見ざるとも己の腹の底よりなさんと思ひてなす迄の行為こそ真の陰徳なり。己の四鏡が善事なりと判定を下さば人の見る見ざるにこだはる事なく行ひ、人の嘲りを受くるも屈託なく、もし共鳴して共になさんと欲する人あらば斥くることなく喜びて共に行ふ底の陰徳にあらざるべからず。因より己の心中に報いを望む行為ならば、其は陰徳にあらずして模倣陰徳の部に属すべし。又大衆の幸福を心の底より祈るも陰徳なり。

×

非ログインユーザーとして返信する