覚者慈音859    未知日記 第六巻 光明論  上巻 光明論 巻の四  教主寛大講義

覚者慈音859
未知日記 第六巻 光明論       
上巻 光明論 巻の四     
墨色判断の真偽について


                教主寛大 講述
                2019.⒊ 03
                       137番



 先づ試みに汝等毎朝一枚の紙に一線を引き一か月是を重ね見よ。其線が三十日必ず同じ線、同じ墨色にあらざる事を知るならん。又朝起床したる時、洗面をすませ神仏を拝し威を正して線を引きたると、起床してめざめやらぬに引きたる線とを比較し見よ。其異なる相違は何も知らざる人にも知る事を得るなり。故に墨色判断師に是を指されて驚けど決して不思議にあらざるなり。是に対し占者は得意となりて種々様々枝葉に渉りたる事迄、己の弁舌を振ふに依て却て敵中をあやまるに至り、迷信妄信の種子を蒔く結果となれど墨色にて人の性質或は病気等又は天変地異を察する事は決して迷信にあらず。理に合ふは当然なり。此事は音響にて判断するを得るも亦他の芸術にても論旨は一なり。此墨色の一線は鏡にして墨色に現はるる其々の事柄は映り来る現象と思はばよし。又音響は耳の鏡にて是に現はるるは映り来る現象なり。是等を要約すれば天変地異と云へども根拠なくしては突如来るものにあらず。其には何かの根拠ありて潜在より現実に、表面に現はれ来るによりて初めて知らるるなり。されど其が表面化せざる間に知る事を得るならばまぬがるる方法も得らるべきなり。人間にもあれ、他の動物に於ても大小の相違こそあれ、其等を察知せらるる組織は神よりそなへをかれあるなり。然れども下等動物は己の分度を守り居るを以て其身に関る大事を早く知る。これに反し人は様々の外事に囚はれて是等を察するに至らざるは、さても愚なる者と我は思ひ居るなり。潜在し居る気光素が徐々に表面化せんと活躍を開始すれば人間の持つ気光素にも感じ来り、其働きが墨色ともなり、音響ともなりて発達せらるるに依て天変地異も自づと推知するを得るなり。謂はば反射力が反射力を生みたる結果となりたるなれば敢て審むに足らず。
 汝等第四の鏡を見たる者の斯る明白なる理を覚り得ざれば今後の修行は一層むづかしくなりて容易にさとる事能はざるべし。故に今少しく例を引きて詳細に説明せんに、我、慈音を通じて教へ居る講話について語らば、先づ我言葉は慈音の霊に聞かせ、霊は是を魂魄に報じて更に心意より肉体の手に依て記されありて、我の姿は慈音の傍らにありて話し居るにはあらざるなり。然して其文は汝等の肉眼より心意魂魄へと移り行くにて順行より逆行となるなり。故に順逆は一体となる。即ち我の講話は潜在の霊より肉体の表面に現はれ、汝等に表面の肉体より潜在の意魄に通ずるも、是反射より反射への原理となるなり。例へば二個の鏡に太陽を映せば一個より一個へ反射し、更に其反射は繰り返へされあれど、肉眼にては細く繰り返へし居る事を見る事を得ざるは、肉眼は反射の波に眩惑さるる故なるべし。心の反射作用にも斯る現象あるなり。人気は人気を喚ぶと云ふも又反射作用なり。

×

非ログインユーザーとして返信する