覚者慈音858    未知日記 第六巻 光明論  上巻 光明論 巻の四 教主寛大講義

覚者慈音858
未知日記 第六巻 光明論       
上巻 光明論 巻の四     
墨色判断の真偽について


                教主寛大 講述
                2019.⒊ 03

                       136番


 さて第四の鏡に映じ来る理なるが前にも説きたる気の光明が電波の如く伝はりて映ずる事は前にも説きたれど、第四の明鏡は第一第二と異なり、空源力の具備あるを以て神の力の霊気が加はりて映ずるに依て結果も報いの賞罰も共に明鏡に映ずるは他の鏡と異なる宝鏡の力を具備し居ると知るべきなり。是を汝等が魂魄につきて示めすならば自問は魂より魄に伝はり魄より霊に通じ、その自答は霊より魄に伝はり、更に魂に返ると同様にして、
魄に有する第四の鏡は魂より映ると、更に霊より来るとの両道が現はれて正しき結果の報いは見らるると承知せよ。是自問自答の正しき原理なるにより此法を完全に行ひ得るに至らば霊妙不可思議の徳は現はれて決して毫も過誤を教ゆるものにあらざる事も知らるるに至らん。人間の中にも一つの芸術を熱心に修得したる者はその芸術によりて大悟なす者往々に見受けらる。宗教者学者修行者は却て此芸術家に教らるる事多し。修行者が解せざる天変地異を其芸術家が芸の徳によって早く悟り居るものなり。是等の理は何故なるかと云ふに芸に現はれ来るものは空源力気光素の働きを其芸が有し得る故なり。汝等も知るならん。汝等の世界に行はれ居る墨色判断と云ふ一見愚に似たる占ひに属す如き法あり。其にすら蘊奥をきはめたる人は決してあやまたず適確に判断す。是何故なるかを汝等は知らざるべし。斯る迷信に似たる者の中にも見のがし難き真理あるなり。人の心は種々様々に異なる性質を有す。譬喩にも十人集れば十腹とさへ云ふ如く面々に特性は異なるなり。故に筆を執れば筆跡も従って異なるは当然なり。唯見れば解し難からんも是を研究し居る者には明らむるを得。汝等に於ても知人の筆跡はよく知りて是は何某の筆跡にあらずとか、何某の筆跡なりとか云ふにあらずや。まして其は専念し居る者には分明なすも理なきにあらず。其は兎に角、我の曰はんとするは筆跡の如何に不拘墨色判断についてなり。

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