覚者慈音856   未知日記 第六巻 光明論  上巻 巻の四 第四の鏡を見るための心得  教主寛大講義

覚者慈音856
未知日記 第六巻 光明論      
上巻 光明論 巻の四     
第四の鏡を見るための心得


                教主寛大 講述
                2019.⒊ 02
                    134番


 此理より推理せば光明は有形無形を論ぜず輝くなれば、鏡に映り来ることも又理由なきにあらずと悟る処あるならん。例へばここに悪き光明に対して善行の輝き強ければ悪光は其影を見する能はずと云ひても成程と頷き悟ることを得るならん。恰も太陽の下に蝋燭を灯すと同様の理なればなり。光明の中にも日月燈燭の相違あり。人間の光明に在りても善悪正邪の相違なかるべからず。今汝等に悪魔の光明と聖者の光明との相違を鏡に映して見すべし。眼を開きてよく見るべし。聖者を装ほへる悪魔は赫々たる光を放ちて衆生を欺かんと謀りて現はれ、多くのもの是を見て礼拝なし居る様如何にも神々しく尊げに見ゆるならん。鏡は徐々に廻転を初めたり。見るべし。光明は次第々々に変じ行きていささか炎の如く焔火'(ほむらび)の如き様を呈しつつ何となく無気味なる色に変じ行けり。
 視よ !   はるか後方に一個の薄き光現はれたり。此光は徐々に悪魔の光にせまり来るを !  近寄れる光明はさのみ光彩を放つにもあらざるに悪魔の光明は次第に光を失ひ焚火(ふんび)の如く変じて、悪魔はたまらず法を解きて遁げ去りたり。聖者の光明は斯くの如く別段に異彩を放ちあらざるに自然の威徳は悪魔の法力を破り去りたり。悪魔の光明は附焼刃なるに依てはげ易けれども聖者の光明は真に具はる威徳に輝く光なれば斯る魔法に破らるる事なし。彼等は聖者の威徳に怖れて悪魔は遁れし事とは知らずして、神は立ち返りしと思ひ、尚も悪魔の光明を幻に描きて一心に信仰なし居る様哀とや言はん。愚なりとや云はん。汝等もこの鏡を見ざりしならば彼等の如く迷はされたるならん。怖しきことならずや。
 聖者の光明は鈍きに似て鈍からず。然して広く照してあますこと無し。光明は普く十方世界を照らすと云ふは此事を云ふなり。汝等が云ふ彼の人の威厳そなはると云ふも光明と解釈して聞くべし。
 気光素は即ち光明にして其輝きによって頭の下る底の威徳現はるるなれば光明と云ひて可ならん。然らば何故に聖者の光明は鈍きかと云ふに、是は聖者は別段己の徳を現はして他を威圧せんなどとの理想を抱くにあらずして、自然に徳の現はれが溢れ出づる現象に過ぎざるにより光は鈍くとも働く力は強し。汝等に於ても修養修行を重ぬれば、重ねたる分度に応じて光明は勝り行くなり。此理をよくよく翫味して念に止めをかざれば、第四の鏡に対する理論を認識し悟る事は難からん。ここに一例をあげて語り添ゆることあり。

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