覚者慈音855    未知日記 第六巻 光明論   上巻 光明論 巻の四  教主寛大講義

覚者慈音855
未知日記 第六巻 光明論      
上巻 光明論 巻の四     
第四の鏡を見るための心得


                教主寛大 講述
                2019.⒊ 01
                    133番


 大凡迷ひの生ずる源は眼なるべし。故に人の心を知らんとせば眼を見れば大抵は察せらるるは人の知る処なれど、もし盲目ならば何処を見れば察することを得べきか。眼にては理解は得られざるも顔色即ち顔のしまりを験すれば想像することを得べし。顔は人類のみならず動物には大切なる場所なり。然りとせば此顔色は眼の魂の代表者ともなるならん。此代表は鼻口の意魄によって現はさるるなるべし。もとより意魄は内を守り居るものにして引力性に属し、心魂は圧力性にして外を守る性質なればこの四根によって引圧は完全に行はるる結果物事は達成せらる。然るに人は是をして逆に働かせて空虚に終ること多し。例へば物を見るに於ても圧力性によると引力性に見るとの相違によって異なる結果を招来すること多し。
 己の求むる物は引力性なるに依て働き強ければ眼につけども、余り心にかけざる物は目前にありても眼に映らざるは圧力性なるに依てなり。人は修養の徳現はるるに依て四根は浄められて円満なる顔色となるは、即ち四根が引圧を正しく行ふによりて整ふ。然れども汝等の修養は全からずして欲望をたくましくするが故に満足を知らず、足りても求むる引力が眼に耳に働かせて慈悲と情(なさけ)の圧力を阻害するを以ての故に、顔色をだやかならず。常に不平不満の色を示めし居るなり。顔色悪しければ病魔は襲ひ来らん。我、汝等に顔によって魂魄一如の例として参考に迄なしおくべし。今少し語ることあれどくだくだしければ是にて止めん。魂魄一如の事につきて斯る処にも参考資料ありと知らば物事を迂闊に見すごすこと勿れ。
 第四の鏡の本論に入るに先だち先づ知りをくべきは光明と云ふ事についてなり。是にはテツシン、セイキョウ等に依て概要は説きあるも今少しく知りをくべき事柄あり。依て暫く是が説明をなさんとす。光明は凡てに在りとは汝等既に学びたり。されど汝等稍もすれば光(ひかり)を聯想して誤解すること多し。故に我の教ゆる光明は光を伴はざる光明なりと知りて聴くべし。即ち善行には善の光明あり。悪にも悪の光明ありと知るべし。汝等は善人には善行の徳にて光明は輝けども、悪人には光明なしと考ふるならん。是は誤解なり。悪にも光明ありと知りて我語る処を聞くべし。光明と云へば唯崇高なるを聯想するならん。然にはあらず。清き光明不浄の光明等々千差万別なり。匂も光明なりとは既に説きたり。此匂にも善悪あるはよく知る処なり。健康者には健康の光明あり。病弱者には病弱の光明、富者には富の光明貧者には貧の光明、老若男女悉く其々光明を有するのみならず、山川草木禽獣虫魚に至る迄悉く光明を有せざる物はあらざるなり。汝等此意味をよく翫味なして第四の鏡の理論を聞くべし。されば今後我の語る光明とは光なりと誤解することなく広き範囲にわたると承知せよ。

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