ある女性との対話   未来の地球





どうも初めましてmilkさん。
北陸の人間はどちらかと言えば気恥ずかしくて、引っ込み思案することが多くてね。なかなか初めての人の中に入って行かれないのですよ。
この下足番の仕事を長いことやっていると、その談話室に入ってこられる人の性格が靴の脱ぎ方に自然と表れてくるものですね。
その点、milkさんの脱ぎ方はいつも整然として行儀良く、とてもよろしいと思います。先日来のBさんとmilkさんの会話を聞いていて、ほんとに楽しく思っていました。まるで10歳の少女と80歳の老爺との対話みたいで微笑ましく聞いておりました。
それはそうと、今日milkさんは「おすそわけ」の話をされていましたね。それを聞いてああ、僕も同じ「おすそわけ」をさせて貰っているんだなって思いました。それは、このブログに僕が勝手に天使方の言葉を取り次いでいるからなのです。僕一人がこれを享受するのではなく、ここにお集まりの皆様方に少しでもこれをおすそわけしたいと思う一念からなのです。でも、人によってよけいなお節介、心配ご無用と思われる方が大多数を占めていると思っています。
貴女の文面から推して、神様のことをもっと知りたいと思っておられませんか。どうかその一助になればと思っています。柿や芋と違って決しておいしいものではありませんが、終生貴女の魂に刻印されるような不思議な味がするはずですよ。まずは一度ご賞味あれ。


milk:
ユーサンと呼ばせていただきますね。


お返事がとても遅くなり申しわけありませんでした。
こちらへまでお越しくださり本当に嬉しく拝見いたしました。


私のほうこそご挨拶が大変遅くなりました。
どうぞよろしくお願いいたします。



北陸の人間はどちらかと言えば気恥ずかしくて、引っ込み思案することが多くてね。なかなか初めての人の中に入って行かれないのですよ。


そうなのですか。


私は北陸ではないのですが人間世界が比較的ニガテです。(微笑)
勝手なことを勝手なときに書き込むだけなのですが、嬉しいこと、ほっとすること、感動して言葉の無いこと、そんなときに私はここを使わせていただいております。


でもとても似ているところは、素敵なことを皆さんにお伝えしたいという気持ちかもしれません。



それはそうと、今日milkさんは「おすそわけ」の話をされていましたね。ああ、僕も同じ「おすそわけ」をさせて貰っているんだなって思いました。


読んでくださったのですね!
本当にありがとうございます。本当に嬉しく感じます。


素晴らしいですね・・・。


天使の方々ですか・・・。


心の中へのおすそ分けはその方の生き方により、多くの深い味わいを生み出してくれるものです。


あなたが今日ここへこのような言葉を書き込んでくださったのも、きっとこれは神様からの心優しいプレゼントであると感じています。


必要なものを必要なときに、一瞬もたがわず、神様は私にいつもお届けくださいます。


さてMILKさん、貴女のような明るい人が人間世界が苦手とはね、チョツト俄には信じられませんね。このナビの世界では結構、貴女は歳の割には古参のタイプでしょう。だいたい「人間大好き人間」でなかったら、おそらくずっと前に、このナビをリタィアーされとるのとちがいますか。
昨日云っておられた、「感動して言葉の無い時」こんな状態を言葉にするのは誠に至難。それを僕の知っている天使の方は、これを無言詞といっておられましたな。祈りの時、この無言詞が一番神の心に通達するのだと云って居られました。なぜならその祈りは沸点に達しているからです。貴女も感動の頂点に立ったとき、それを言葉ならぬ言葉、無言詞でもって神に感謝されるといい。必ず貴女の心の思いは相手方に通じます。
こんなことを書くと僕は変人と思われるのかもしれませんが、僕は神、天使、宇宙人、そして仙人の存在を信じています。これを現実世界でまことしやかに人に云うと、少し変わった奴と目されてしまいますが、こんなバーチャル世界で云うとそれが不思議と違和感をもたれないのかもしれません。


貴女が云っておられる「必要なものを必要なときに、一瞬もたがわず、神様は私にいつも お届けくださいます・・・・・」
これが本当なら、貴女こそ魔法使いなんじゃありませんか。こんな能力を願望達成能力とでも呼ぶのだろうね。それは貴女の無意識に働く祈りの力(念の力)が強いために、引き起こる現象なのではないでしょうか。
昔、イエスキリストが少しの魚とパンをちぎり、それを何百人かのお腹を満たすまでに増やした奇跡の話が二つの福音書に書かれています。又釈迦が一夜にして乞食に金銀財宝、それも倉を満たすほどの量を授けた話も仏典に載っています。これらの奇跡の話をクリスチャン、或いは仏教徒の人達ですら、自分の持つ科学的思考能力にあわないためにとかく否定することが多いようですが、これらはすべて真実です。あと500年も科学が進歩すれば、釈迦やイエスが行った奇跡の数々をやがて科学が証明するようになります。それほど彼らは抜きんでた人達だったのです。


milk:
私は、私の中のたわいの無いことを良くここに書き込みます。


そしてそれを読んでくださった方が、本当にしかたの無い人だと、苦笑いしながら一つ一つ教えてくださるのです。


そんな大事な場所ですから、私は大事にしなくてはと思っているのです。



ユーサンもやはりとても大切なことをお伝えくださいましたね。
本当にありがとうございます。


私はゆっくり、ゆっくりですが、あなたのおっしゃることを理解したいと思っております。


わたしの心は私の自由には時々なりません。(変ですね。笑)
それは神様がお決めになることもあるからです。


私はクリスチャンでもなんでもないのですが、多くの体験から、常に大いなるものに守られていることを感じるものです。



こんなことを書くと僕は変人と思われるのかもしれませんが、僕は神、天使、宇宙人、そして仙人の存在を信じています。


ぜんぜん!!!
まったく私と同じではないでしょうか・・・?


だって私はシロウサギ的世界の中で生きておりますし、そのような気持ちがとても大事であると思っております。


どうぞ、誤解なさらないでくださいね。
私は真剣にお話しております。


安らぐもの、大いなるもの、時に厳しいもの、そして限りなく優しいもの、自然の中にちりばめられたそれらのきらめく宝物を知るときに、私はいつもシロウサギとなります。
だからユーサンの真剣で、厳しいお心も感じます。




貴女が云っておられる
「必要なものを必要なときに、一瞬もたがわず、神様は私にいつもお届けくださいます・・・・・」
これが本当なら、貴女こそ魔法使いなんじゃありませんか。


微笑、それは時々起こるとても愉快なことですね。


本当の苦しさを知るものはほんの少しの温かさを、深い感動を持って感じることができます。


本当の悲しみを知るものは、小さな心遣いに涙を流すことができます。


何事もその方の心の位置がその物事を感じさせてくれるのかもしれません。


偉そうなことを申し上げました。


のんきなシロウサギは、今日も縫い物界の長老の下で修行しなくてはいけません。
何しろこの長老様は、神様がおよこしになったのですから。
(そして、それって、本当に幸福なことでしょう?)


<そして次の日の夜>


どうも、milkさんこんにちは
来客者がすごくなっていますね。僕も貴女のマネをして黒ウサギに変身して、ウサギワールドの住人になってもいいですかね。
白ウサギさん、僕は天界を極めた5人の指導者の方々を存じています。
その方々はいくつもの法を僕達に教えてくださっています。それを実践することによって、それぞれの魂の覚醒を僕たち人類に督促されているわけなのです。
その指導者なる方々は、例えばこの無限大ともいえる大宇宙を仮に距離でもって計測できるものなら、その端から端までを移動するのに1秒の何分の一かで 往復できる力を賦与されています。この何千億兆光年あるやもしれぬこの大宇宙をですよ。又私たちの住む地球のような惑星などもこれまた瞬時に創造もされ、又破壊もできる力を持たれています。
更にはこの全宇宙の隅々にまで肉声を送ることも出来たり、耳をそばだてれば全宇宙のありとあらゆる生物の声を聞くことも出来ます。まるで神様のような方々ですね。でも、その指導者達は私たちは神ではなく、人類が進化した者であって、決して神ではないと申されています。このような力を与えられていなければ神の下僕として、宇宙の進化のお役に立つことができないのだと云われています。
のっけからこんな荒唐無稽なお話をすると、まず人は誰でも僕を狂人扱いにしてしまうでしょうね。だから白ウサギさん、お伽噺として聞いて貰ってもよいのですよ。
この広き宇宙の中で地球だけに人類が生息していると思ってはいけませんよ。
無限数ともいえる人類がこの宇宙に生息しているのです。地球人類の知的発達度を仮に10流界と規定したら、ひとつ上の九流界の人類はどんな生活をしていると思いますか。その世界では自然災害である地震、風害、水害などをすべて科学の力ですべて解消しているのです。又、飛行機事故や車などの交通災害で一人として死傷者などを出しておりません。
既に九流界の世界は貨幣というものが流通されていない為に、それを備蓄する富者もなく、それに欠乏して悩む貧者もありません。よって貧富の差もなく、それを妬む犯罪者もおらず、それを召し捕る警察組織もなく、更にはそれらを裁く裁判所もありません。その世界で生まれた赤子は、母の胎内におるときから、自分が何故この世界に生まれてきたのか、その由来曲直のすべてを知っています。生まれ出てすぐに己が任務を知り、父母と語るそうです。まるで釈迦如来が生れて七歩あゆんで天上天下唯我独尊を叫んだのと一緒ですよね。実際この九流界の上部の子供達は、私たちの世界で智者と呼ばれている最高の知性をもつている人と同様の智性をもつているそうです。



milk:
シロウサギワールドにご参加くださるのですか?'微笑)
とてもたわいの無い内容なのでびっくりなさるのではないかと心配なのですが・・・。


クロウサギさんは、ドンナ星からいらっしゃいましたか?


その端から端までを移動するのに1秒の何分の一かで 往復できる力を賦与されています。この何千億兆光年あるやもしれぬこの大宇宙をですよ。又私たちの住む地球のような惑星などもこれまた瞬時に創造もされ、又破壊もできる力を持たれています。


とても大きなエネルギーと。瞬時の間違いの無い判断力をお持ちなのでしょう。


シロウサギにとりましては、このシロウサギのすむ小高い丘が全ての世界なのですが・・・。



更にはこの全宇宙の隅々にまで肉声を送ることも出来たり、耳を
そばだてれば全宇宙のありとあらゆる生物の声を聞くことも出来
るそうです。まるで神様のような方々ですね。


エッ!、神様ではいらっしゃらないのですか?


そうですか。神様のお手伝いをされていらっしゃるのですね。



のっけからこんな荒唐無稽なお話をすると、まず人は誰でも僕を
狂人扱いにしてしまうでしょうね。だから白ウサギさん、お伽噺
として聞いて貰っても云いのですよ。


私は神様を信じる者として決してあなたを狂人だなどとは思いませんよ。(微笑)


お気持ちのままにお話になりたいことを、でも、少しだけこのシロウサギにもわかるようにお話ししてくださいますか?



この広き宇宙の中で地球だけに人類が生息していると思ってはい
けませんよ。無限ともいえる人類がこの宇宙に生息しているので
す。そこで地球人類の知的発達度を仮に10流界と規定したら、
ひとつ上の九流界の人類はどんな生活をしていると思いますか。


10流界の苦しさが9流界の中では見事に解決されているのですね。


時間や、空間や、もろもろの苦しさから開放された9流界なのですね。




やあ、こんにちは白ウサギさん。僕はミチビキ星の黒うさぎです。星は白鳥座のM60の近くにある惑星からやつてきました。
さて、白ウサギさん。この前は九流界の世界、その一部を紹介しましたね。僕が天使の方から聞いているお話では、その九流界の世界の人類は誰一人として、享楽的、或いは性欲的な交わりはしないそうです。そうなんです、子供を得るため以外の交わりは決してしないのです。そして子供を儲ける間を苦しみと考え、その役目を果たした後の夫婦はまったく楽しみを味わって一生を過ごすそうですよ。地球世界の人類は、「人間の幸福は男女の享楽にあり」などと公言して憚らないところがあるけれど、全く雲泥の相違があるみたいだね。あと千年も経過するとこの地球も九流界の世界に進むことが出来るのじゃないかな。でも、それまでこの星が形として残っているかな。それが心配だ。
白ウサギさんはスーパマンの存在を信じていますか。ほら、映画に出てくる空飛ぶスーパマンですよ。あれは単なるSFではなく、この宇宙には必ず存在しているね。あの世界は九流界のひとつ上の界で、八流界と呼ばれています。その八流界もまた無数にあるそうですよ。そしてその世界の子供達の遊びの一つに天空に舞い上がり空一杯に花を咲かせるそうです。そこの人類は食べ物を食べても、僕達みたいに廃棄物を出さないそうだ。すべて気体となって皮膚から蒸発してしまうそうですよ。だから仮に僕達がその世界に行ったってトイレがないから大変だ。先ず、外見から見ても男女の相違がないそうです。陰門陰茎などなく、子供が生まれる時に人門が自然と開らかれ、生まれればそれは又自然に閉じられてしまうそうだ。
例えばこの界の小児を僕達の世界に連れてきたら、僕達の眼はくらみ、その権威に打たれて顔さへ上ぐる事もむつかしい程の人種らしいよ。まして成人した者が、僕達の世界に現われたら、それこそ、それを真の神なりと誤認するに相違ないね。しかし彼等は神ではなく、進化なしたる人間に他ならないんだ。だから僕達が真の神を知らんなどとは、ほんとに思ひもよらぬ事になるんだろうね。是は僕達の世界より僅かに二段階の相違ある処なんだ。だから6、5、4、3流界ともなれば僕等は想像することすら不可能な菩薩の世界だ。
勝手にひとりでしゃべってばかりですみません。



milk:
エエ!、黒うさぎさんはミチビキ星というところからいらしたのですね!!!


黒うさぎさん!
わたしはこのお話にとても興味があります。
少しづつで無いと理解できないと思うのですが、易しく易しくお話し願えますか?


天使の方のお話を聞けるなんて!!!
シロウサギは真面目に考えてみたいと思います。本当に。



あと千年も経過するとこの地球も九流界の世界に進むことが出来るのじゃないかな。


あと千年もかかるのですか・・・。



実在しているね。あの世界は九流界のひとつ上の界で、八流界と呼ばれています。その八流界もまた無数にあるそうですよ。


八流界のほうが上?なのですか?
そして無数にある・・・。
黒うさぎさんはどうしてこんな大事なことをたくさん知っていらっしゃるのですか?


シロウサギはただただ感心するばかりです。



しかし彼等は神ではなく、進化なしたる人間に他ならないんだ。だから僕達が真の神を知らんなどとは、ほんとに思ひもよらぬ事になるんだろうね。


神様ではなく進化した人間。


でも神様ほどの素晴らしさをもたれているのですね・・・。


是は僕達の世界より僅かに二段階の相違ある処なんだ。


益々想像を絶する世界ですね・・・。
でもどのような世界であれ、その世界の中で生を受けたものは、
一日一日全力を尽くして生きてゆくことが大事なのかもしれません。


与えられたものに感謝し、今日のこの日に出会えたことをやはり嬉しいと思いたいですね。
(微笑)



色々教えてくださって、本当にありがとうございました。またぜひいらしてくださいね。


シロウサギはね、本当はほんわかしたものが大好きなナマケモノなのです。


今日はちょっと、賢くなった気分です。(クスクス)


さて次の日


白ウサギさん返事をありがとう。
僕は黒ウサギのユーサンです。


わたしはこのお話にとても興味があります。
天使の方のお話を聞けるなんて!!!
シロウサギは真面目に考えてみたいと思います。本当に。



白ウサギさんから、こんなこと云っていただけると僕の方が有り
難い。こんな言葉がスーット出てくるのも、貴女の魂が清く澄み
きっているからに他なりません。
でも、気を付けてくださいね。もう少し僕の言葉も疑って聞いて
くださいよ。そうでないと、貴女はとても信じやすい。それが危
ない。なぜなら、天使の言葉を語りながら、それを偽る悪魔の言
もあることですから。
天使といつても、聖書に出てくるような翼などをつけておられま
せんよ。そして男性、女性の性的区別もありません。その性なる
ものを超脱されておられます。当然僕達のような粗雑な肉体を持
たれているわけでなく、光り輝く霊体そのものです。


白ウサギさん、僕も貴女と一緒の迷える一匹の子羊です。
理解度は全く貴女と一緒。寸分もたがいません。
たまたま、縁あって40数年前からその書に没頭しておっただけ
の事なのです。いまも凡夫もいいところ、二人の孫を持つ平凡な
好々爺にすぎません。先日来から、生意気に天使方の言葉を掲載
させてもらっていますが、はたしてどれだけ僕自身が認識して居るか、ほんとに危ういものです。
でも、僕のような学のないものでも、「これはほんまもんだ」と
断言できますね。


天使の方が云って居られました。


「汝等、仏教者が信ずる釈迦の言葉に「我は良医の如し。病を知りて薬を説く。服すると服せざるとは医の咎にあらず」と語りたるにてはあらざるか。
仏教信者は釈迦と云ふ偉大な人格者に対してすら服するもあり、服せざるもあることを釈迦は余儀なしとして、斯かる言葉を残したるにてはあらざるか。
釈迦にして斯くの如し。まして慈音に於てをやと我等は思ふが如何。世人の心はかくの如き浅はかなる智慧より具はりあらざるなり。世人の口にし居る大名も乞食もおなじ桜花と云ふ句あり。この句の意味をよく考へ見よ。釈迦が語る言葉も乞食が語る言葉も、理あらば是を正しとして用い、たとひ釈迦の言葉にもせよ、理なければ正しからざるべし。理あらば乞食の言葉も正しと
して信ずる底の智慧ならでは、世人の修養修行は全からざるべし。即ち大名の桜も乞食の桜も桜と云ふに変はりなからん。されど世人は大名の桜を尊び、乞食の桜を厭ふ底の修行なるが故に人智は進まず。よって今後誰の言葉にもあれ、正しければ信ずべし。たとひ人格高き人なりとて理なきことは信ずるの要もなからん」


ここなのだ、白ウサギさん。貴女はイエス.釈迦の言葉だったら、
有無を云わず信ずることでしょう。でも、同じ内容のことを僕の
ような徳性に欠けた者が話すと、それはどうかなと疑心を生みま
すね。白ウサギさんだけでなく、これは殆どの人達は皆そうです
よ。これは当たり前。
でも、「今後誰の言葉にもあれ、正しければ信ずべし。たとひ人
格高き人なりとて理なきことは信ずるの要もなからん。」


この気持ちが大事なのではないでしょうか。


白ウサギさん、僕の云う天使の方々のお名前をここに記しておき
ます。その方々のお名前を真剣に称えれば、貴女と天使の方々と
は繋がります。ホントですよ。
その方々のお名前は
ヂショウ.サンキョウ.インショウ.ミキョウ貴尊
この方は日本に元禄年間に生を享け、行者として大峰山中で行を
遂げられ、昭和26年に天の命を受けてミキョウとしていまは天界で働かれています。亡くなったのは180数歳の時。
亡くなったという表現は当たっていないな。
実際はチベットの深山奥深くで、生きてるまま土中に身体を埋めて、魂だけが昇天されたのです。天より帰れとの命令を受けて、即身即仏の最終行を行われた訳なのです。


こんなことを書くと、これを聞いている人は奇異に思うでしょうね。世界の最高長寿者は120歳だぞ。馬鹿なこというんじゃないと。
でも仙人は200歳はおろか、500歳も生きた人が古今に二人
、或いは三人おられたそうですよ。こんなことを書くから信を失
ってしまうのかもしれない。でもほんとの事なんだ。


次に
コーケン.ムィ.リョウジャ.セイキョウ貴尊
この方は、まだ日本に仏教も儒教も、ありとあらゆる外来思想が
まだ渡来していない、神代の時に行者として生存されて居られ
た方、今は天界で四流界の人類を監督補佐されて居られる方です。



次の方はテッシン貴尊、この方は二流界に生を享け、今は一流界
を支配監督されて居られます。人として生を享け、すでに何極年
もの間修行されてこられたからです。
白ウサギさん、極年ってどれだけゼロがつくと思いますか。億や
兆などの単位ではありませんよ。兆の単位にゼロが三六個も連なるのですよ。現在の科学者はビックバンをもって宇宙の始まりとかなんとか仰っておられますが、決して決して、そんなちっぽけな単位ではありません。科学者の云うビッグバン以前に、すでに大宇宙は構成されておるわけですから、それはあくまでも銀河系のような小宇宙の形成のことなのでしょうね。神の世界からみたら極年と言う数値も決して長い時間ではないそうです。
戦前は地球が創生されて、十七億年と云っていましたが、現在の
科学者は四六億年を定説にしています。しかしこの定説もやがて
覆される時がくるでしょう。


天使方は
「地球が創生されて二三億七八〇〇万余年と教へをきたり、然る
に現今の学者は太陽生れて二五億年、地球生れて一七億年と通算
なし居れり。
我の説と学者の説とには斯くも隔たりあり。其は現今の学者が宇
宙の測定法を、現今の姿より通算するによって、我と学者との間
にはかくも隔たりを生じ居るなり。太陽現出したる当時の波長と
、又地球の現出したる当時の波長との測定は、現今の波長より通
算する時は、斯くも相違あるなり。其は現出したる当時の波長と
、今日の姿の波長を同一の関係と考へて通算するが故に、誤算を
生じ居るなり。」と仰っています。
掲載した「厳戒の辞」は、この書の最大眼目と云っていいほど重要なものです。この言葉を絶えず練習することによって、貴女の思いを神に通じさせることが出来ます。そして
その言葉が宇宙の中心にまで届くのです。更に厳戒の辞を唱えることによって、その広大な徳により自分の魂は清浄されて、魂の進化を促進します。どうか、一度読んで捨ててしまうのではなく、幾度も幾度も読み返して頂き、実践して欲しいと思っています。私などはもうこのページの箇所を数えきれないほど読んでいます。
あの八文字一五音の言葉は無言詞と云われ、貴女の、言葉にならぬ胸の思いのすべてを自動的に文章化し、宇宙の中心におわす神霊に確実に通達させることが可能です。どうぞ近しい人にもまた教えてあげてください。
但し、その言葉を玩言の如く弄することは堅く禁じられています。どうか眼前に神を拝するような厳粛な気持ちでお唱えてください。チッ、と唱えたら息が苦しくなるまで、貴女のその思いを頭の中に強く強く描くのです。そして息が苦しくなってきたら、シューと一気に息を吐き出します。さあ、そこで息を吸い直して、キュ.ジョ.ギョ.コウ.フク.センと唱えればよいのです。
しかし、チッと唱えたときから一心不乱の気持ちになっていなければなりません。すれば貴女の祈りは通じます。
いま地球界で唱えられる祈りには限界があります。この厳戒の辞は空にも冒されず、虚にも冒されず、空虚一体化した祈りですから、熟達すれば貴女の自由自在の魔法の杖となることでしょう。
この厳戒の辞を最初に受けられた人は伊東慈音といいます。
彼が何年もの間、天使方より苦行をさせられ、7年目にして漸くこの辞を授けられた経緯があります。翻って私たちはなんの行もなさずに、この辞の威徳を受けられるわけですが、どうかmilkさん、「有り難い、勿体ない、かたじけないの思い」を込めて唱えることが肝要です。
そうすることで、この辞は更に力を得て、神妙不可思議ともいえる力を発揮するでしょう。
この世界で、この辞を知っていた日本人は、おそらく200人に満たないものと思われます。其の大部の方々も今は逝去されて、本当に数少なくなっているのが現状です。
私たちの生きている間か、或いは死後かは解りませんが、絶対にこの教えは広まってゆきます。それを命に賭けても僕は確言します。貴女の言葉を拝借すれば、「神様は決して無駄な教えなどいたしません」それと大事なことを忘れていました。この辞を継続することによって、貴女の魂は死後、目くるめく程の高い天界に誘われることを保証します。その時、貴女は僕に必ず、必ず、感謝されると思いますよ。今はともかく其れを聞いて、専一に実践されるだけでいい。
それとこの書を最初に評価するのは残念ながら日本人ではなく外国人だそうです。この未知日記の書に次の言葉が書かれています。


「我等が汝に教へつつありたることは決して無意義にはあらず。汝(慈音)は天界より是を見るあらん。我等の教へは次第に普及され、一部は削除せらるるあれば、一部は加わる等あれども原本はその儘残されん。各国は奪い合ひて是を読み、東洋は東洋人に、西洋は西洋人に委ねずば永遠の平和は望まれじとの声喧(かまびす)しくなり、日本を滅ぼすなかれの声、次第に起り来たらん。慈音よ汝の努力は決して無意味にはあらざるぞ。悲観せず気力を落とさず、教主の命に従い、生命あらん限り教へを受けて是を中外に発揚せよ」


日本人の悪いところは外国のものだったら、無条件に思想を摂取するけれど、自国民の所産にはどちらかといえばいつも懐疑的で冷遇視する悪癖が国民性にあります。今年ノーベル賞を受けられた学者も、国内では当初は戸惑いをもって見られておりました。しかし、世界が認めるならそれは凄いことなのだろうと、国民の彼を見る視点が一挙に変わりましたね。この書も一緒なのではないか、この真の価値を認識するのは日本人ではなく、外国の人が発端になるのではないかと思っています。
貴女は17年も米国に暮らし、語学は堪能で語彙もまた豊富でいらっしゃる。
おまけに、アメリカの友人との交際、人脈も少なからずあることでしょう。
ひょつとして、milkさんがそれらを橋渡しする突破口になる可能性をもないではない。それが機縁となって外国でこの書が評価され、それが逆輸入されるのではないかと僕は密かに甘い夢想をもっています。
でも貴女は今はそんな重責を考えなくても宜しいです。もし、必要とあらば、天使の方々は貴女をにわかに招聘されることもあられるでしょう。それこそが天命だ。貴女は今までにご自分の天命、天職を真剣に考えられたことがありますか。何のためにこの世に生を享け、何を果たしていかなければならないのか、きっとおそらくこれまでにずっーと、そのことに煩悶してこられたのではありませんか。
どうです白ウサギさん、ここまでまともに読まれましたか。
ああーっ、と。ため息をついてはいませんか。
この黒うさぎの奴、やっぱり狂っていると思われませんでしたか。
これから、もっともっと不思議な世界が展開します。
僕も貴女からちょつとイカレテいると思われたくないので
今晩はこの辺で失礼します。
ほんとはこんな話、面白くはないのではありませんか。
でも黒ウサギから見ると、貴女は多くの人に愛される素質を持ってい
らっしゃいます。それが貴女独自の徳性なのでしょう。それを大事にしてください。


milk:


シロウサギの世界では、全ては信じることから始まります。
それがシロウサギの世界なのです。


そしてわたしは神様は、決して、無駄なことはなさらないと思っています。


苦しみも、悲しみも、そして絶望も、そこには意味があるのではないでしょうか。
(えらそうにごめんなさい、)


信じること、それは力を生み、、勇気を招き、笑顔を送り届けてくれるものです。


ですから何のご心配もなさらず、貴方の思われることを、書き込んでくださいね。


シロウサギは一生懸命に拝見し、その中にある何かを感じ取ってゆきたいと思っております。



たまたま、縁あって30数年前からその書に没頭しておっただけ
の事なのです。いまも凡夫もいいところ、二人の孫を持つ平凡な
好々爺にすぎません。


40年という貴重な時間をかけて考え、学んでこられたのですね。


そのことにシロウサギは深く頭を下げます。
そしてその学ばれたことをこのような形で知ることのできることに感謝いたします。ありがとうございます。




ここなのだ、白ウサギさん。貴女はイエス.釈迦の言葉だったら、有無を云わず信ずることでしょう。でも、同じ内容のことを僕のような徳性に欠けた者が話すと、それはどうかなと疑心を生みますね。


シロウサギは信じることからはじめます。


これでお答えになりましたか?(微笑)



この黒うさぎの奴、やっぱり狂っていると思われませんでしたか。


黒ウサギさん、思いませんよ。(微笑)


難しい時間を過ごされましたか?
何事も多くの時間と努力が今の時代の中では必要なことですね。


ここに書き込んでくださる皆さんの一言一言にわたしは心を込めてお返ししたいと感じています。


わたしが始めて恐る恐る書き込みをしたとき、暖かいお返事をいただいたことを今も思い出します。
だからその時の、私の、嬉しさを、多くの方にお伝えしたいのです。


言葉は常に何かを伝えてくれます。


同じ伝えるのであるならば、真実を、温かさと、優しさを込めたものでお伝えしたいと思います。



わたしが書き込むたわいの無いことに、お返事を下さるかたに、本当に感謝いたします。


受け取り方は千差万別かもしれません。


でも温かさのあるところに、明るさのあるところに、人は自然と集まるものなのかもしれません。



偉そうなことを申し上げました。(苦笑)


またいつでもお越しくださいね。ありがとうございました。


(天使の方々のお名前は、別にコピーさせていただきました。)



milk:


黒ウサギさん、今晩は。


なんともうしあげてよいのか・・・。


普通にお話になるのもいけないのですか?
私のように何の意味の無いことでも書き込んでゆけましたのに。


貴方の言葉があまりにも大事でありすぎるのでしょうか・・・。


ドンナ形であれ、お教えいただけたことは大きかったと思います。
本当にありがとうございました。


この時代の今日の日に深く感謝するとともに、
黒ウサギさんの優しさにも感謝いたします。


(きちんとコピーいたしました)



貴方が私に下さった労力と、膨大な時間に心からのお礼を申し上げます。


ありがとうございました。


姿も、声もその話し振りも知りえたというのに、


わたしにとっては未知なる人です。



私は以前言葉足らずに終わってしまい、少し補足したいことがあります。下記に記す言葉は教主直々の言葉です。この方はもう神の領域に入って居られる方です。
以前お伝えした厳戒の辞を覚えておいでですね。


我等は神を知り、又神の声を聞く。神ほど温和にしてやさしく慈悲のこもりたるものはあらざるなり。一度手に触るれば忘れ難き愛情が身にしみて、唯言葉なき底の有難味を覚ゆるのみ。恐しと思ふ念は露程もあらざるなり。神を恐るる間は神を知らざるが故なり。神は決して恐ろしきものにあらず。是は確言して憚らざるなり。神を恐るる間は神を知らじと思ひて唯一心に修養修行せよ。然して一度神の手、汝に下らば最早我等の教へを聞くの要もなしと承知せよ。
そして


「神を恋するは神を招くなり。
人間同士の恋は成立することもあり、成立せざることもあれど、神に対する恋は必ずや成功す。汝等諸子は神に恋しては如何、神に恋するは即ち信仰なり。人間同士の恋は片思ひと云ふことあれど、神への恋は片思ひはあらざるなり。必ず成功す。即ち思ひと思ひは空なるが故に、同化するなり。神の思ひは空なり。汝の思ひが空ならば忽ち同化す。


我等に来らんとするもののみ是を信じよ。我等は決して諸子をあやまたしむることはなさざるなりと誓ふ者なり。我等は諸子を愛す。されど諸子は我を愛せざるが故に、一体化することは得ざるのみ。されば我等諸子を愛する如く、諸子も我を愛せよ。然して一体化することによってすべては解決するならん。汝等、我をたづね来たらば、我は面会謝絶するものにあらず。必ず会ふべし。
然することによって愛は成立するなり。恋も成立するなり」。


milkさん 是が信仰の極意なのです。
「我をたづね来たらば、我は面会謝絶するものにあらず。
 必ず会ふべし。」

この言葉を発せられたのは宇宙の神霊、そのお側近くに仕えて居られる方の肉声なのです。
milkさん、有り難いことだと思いませんか。
こういった高い神霊から「必ず会うべし」の言葉を頂けるのですから。


milkさん、大事なことは
いつも心の笑顔を持続すること
三時(食事の時)の感謝を忘れないこと
自問自答を行うこと
そして厳戒の辞をたえず唱えることを続けていれば、
貴女の魂は死後、目くるめく程の高い天界に誘われることを保証します。いまはそれを専一に実践されるだけでいい。ともあれ貴女の人を信じる心は、なによりも尊いことだと思っています。それを今後も大事にしてください。貴女の言葉を拝借すれば、「神様は決して無駄な教えなどいたしません」


でも、長逗留は災いの元ゆえ、私も早々にこのナビの世界をもう暫くしたら出達せねばなりません。その前に、できるだけ詳しく、そして解りやすく異次元の世界を貴女にお伝えしてゆこうと思っています。


実は今日、知人の葬儀があっていま帰ってきたところです。
毎日毎日多くの方がこの小さな町でも何人も亡くなっています。その人達がどれだけ死後安楽の地に移されているとmilkさん思いますか。
残念ながら、その方々の魂の殆どは冥府に迷います。
この冥府とは、真の極楽でもなけば天国でもありません。所謂宙遊に迷う現象です。まあ、これは次回に詳しく書き込みたいと思っています。
それではこの世界の葬儀と二流界の葬儀の違いを少しお話ししましょう。milkさん、この二流界の世界はまさに神仏のおわす世界、いや神ならぬ神、優れた人類の住む世界と思って聞いてくださいね。
私たち人類が持っている霊が仮に十とするならば、九八七六流界と霊は次第に変化して、第二の霊に迄変化したものが二流界の人類になります。いわゆる、濁りたる霊が次第々々に浄化せられて、澄み切った霊にまで化せられるわけです。それが二流界の人類なのです。
真の霊魂とはこれをいうのだそうです。
前にもお話ししたとおり、一流界は唯一つの界しかありませんが、それは境界がないほど無限大の大きさだそうです。しかしこの二流界は上中下部に分かれてこの宇宙に幾つも存在しているそうです。以前お話ししたテッシン貴尊がこの二流界に生を享けられて、今は一流界を支配監督されておられます。
その二流界は男界と女界とに分かれていて、丁度私たちの住んでいる地球と月のような関係にあります。その間の隔たったところが空海になっていて、その中に現出なしたる霊気と霊光が結合して霊魂を作り出したる、謂はば海にあらずして一種の霊池と呼ばれるものです。その空間の中に現出したる魂が人類と化せられて、やがて男児は男界、女児は女界に移されてゆきます。赤子は肉体の交わりではなく、男性の陽霊と女性の陰霊がこの空海に人類を現出させる不思議な場所です。霊気の交わりで人類が作られる。こんな話はこの地球界では誰も信用しませんね。
milkさんはどうです。信じますか。
では先程申し上げた、二流界の葬儀の状態を下記に記しておきます。


「その神々しさと美観とには誰もが一驚を喫するなり。多くの美はしき脱殻が運ばれ来りて、大なる光の池に投ぜらるる様の微妙なる音響と、香しき匂いと美はしき光が八方に輝き、全界の人類が是に感謝の真実を捧ぐる時、その霊気の世界中に充ちわたる有様など、是は到底筆舌の及ぶべくもあらざるなり」と


これが二流界に住む人類の葬儀なのです。
なんとも不思議な荘厳な光景ですね。
では、この世界の人類はどんな働きを為されていると思いますか。


「宇宙全宇宙の具備の変化なし行くは、大概二流界の人々の手によって作られあると見るも可ならん。是等の人種にはみな其々役目を授け、新しき界を作りて、是を監督せしむる如き事もなされ居るなり。汝等の世界と雖も此界の人種の手がのび居るやもはかられざるなり。宇宙全宇宙の実在的のその悉くが、三流界以上の人種によって、組織され保護されあると思ひても差支なし」


聖書に書かれているゴッド、或いは仏典の阿弥陀と呼ばれる神仏達がこの二流界の人類なのだと思います。
milkさんの思っている天使のイメージと私が話す天使の実像に乖離はありませんか。同様、神に対する観念も違ってはいませんか。
宇宙の構造はこの二流界の上に一流界(絶対界)があり、更に無言詞界が幾回層もあり、その上に大霊界が十段階あって、漸く神の住まう神界があるそうです。
昨日申し上げた教主寛大はこの大霊界の統治者であられます。
いわばこの大霊界という学校の校長先生にあたります。そして其処に学ぶ一人一人の学生は、まるで真の神かとまがふ程の実力をもたれた優れた仏達なのです。この仏と言う言葉は、仏教の説く仏の概念を遙かに凌駕する仏のことなので、ここに念の為に付言しておきます。そして、丹波哲朗氏など二三の方が書かれている大霊界の世界とは月とスッポン、それ以上の大きな懸隔があることもついでに申し添えておきます。


何故こんな夢物語のような話をするかというと、私たち人類は何百万年か前には原始時代を経験しています。私もmilk さんも おそらくその時代を過ごしたのだろうと思います。
それは地球がまだ十一流界と呼ばれていた頃にあたると考えます。そして漸くにして私たち地球は10流界の世界をいまここに現出しています。今後私たちは気の遠くなる程の長い時間をかけて、九八七流界へと変遷を遂げてゆきます。
その時の人類はどんな風に変化していると思いますか。尾を有していた原始の時代と比較して、現代人は見違えるほど美しくなっています。そしてこれから文明の進捗にともない益々美しく、輝く人類になってゆくことでしょう。
おそらくその時には不老不死の学理も極め、更には空中浮揚やテレーポトなどをも自由自在に使いこなせる人類になるのだと思います。
今の科学文明が、私たちが夢想できる最高の頂点まで発達した世界を考えてみてください。
今の地球は貧困もあり、戦争もあって決して住み良い時代ではありません。
でも未来は明るく燦然と輝いています。それは私たちが肉体の不死は免れませんが、不滅の魂を持っているからなのです。


何故、神は私たちに生死を与えたか。仮に私たちが不死の肉体を持っていたら、私たちの肉体は元級のままに留め置かれ、僅かの変化発展をも望むべくもありません。よって限りなく魂を成長させ、同時に肉体に変化を与えるために、神は私たち人類に死を与えたと聞いています。この世で愛別離苦の苦しみを味わった者に、こういった言葉を投げかけても、おそらく首肯されるはずもありませんが、長期の視点に立てば、死はまさに慶事でもあるといえそうです。残念ながら「人生一代限り」と思う短いスパンから考えれば、字義の通り、死は忌み嫌われるものになってしまうのでしょうね。


次回は信仰をもって死んでゆく者と、無信仰で死んでゆく者との、転界に於いての大きな差異を書いてみたいと思います。亡くなったらどんな世界に私たちは移されてゆくのか、誰も知らなかった世界を詳細にご案内したいと思います。
ここまで読んでmilkさん、ぐつたりしてしまったんじゃありませか。でも、貴女の亡くなった父、母のことを考えたら無関心ではありえようもありませんね。


我が父母よ、既にあの惜別の日より幾星霜の時はいつしか過ぎぬ。
果たして御身等はいま何処におわすや。
いまも果たして恙なきや、そして微睡める平安なる日々を過ごし給ふや。
我の懸命に御身等を呼ぶ声、果たして聞こえ召さるるや。
乞ひ願わくば、吾に一声語りたも・・・・
御身等のいまの在所の奈辺にありやを吾に語り聞かせたも・・・・

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