覚者慈音810  光明論上巻 巻の三  88番 頭腹一体の行とは 教主寛大講義

覚者慈音810
未知日記 第六巻 光明論      
上巻 光明論 巻の三     
頭腹一体の行とは  
                  教主寛大 講述
                  2019.1.29
                      第88番


 されば汝等は表面の働きにのみ急がせて、内面の重要性を表面に任すに依って、人間の智慧は低級なりとの考へをなすに至る。表面の智慧は磨くとも何の益もなし。其時々よき智慧出でたりと我と我感心すれど深く考ふれば、欠点を見出すことのあるは表面の智慧を長考せしめたる結果に他ならざるなり。故に早合点と早呑こみする人は、心忙しきか或は軽率者に多く、是を是正せんと思ふならば常に此言葉を用いよ。曰く「雲よ、又動くか」と叱咤せよ。斯くして習慣を養はば自然に否自ら清除されん。汝等に心の底よりと教ゆれば脳裡を空虚ならしめんとして眼を閉ぢ首をうなだれて下腹部へ心を押し込めんと無用の箇処に力をこむるにより幻は見え、或は種々様々の妄念雑念空想は盛んとなりて、却って静座は騒座となる。然らば如何なる方法を以て是を緩和し一如たらしむべきかと云ふに、汝等は特殊の秘法にてもあるかの如く考ふるによって容易に究むる能はず。苦みて却って神経を苛せやがて表面の働きを過敏ならしむるなり。余りに凝り固るは表面を疲労せしめて却って神経衰弱などとなる怖れあらん。故に汝等は別段難しき困難なる行をなさずとも必ず達成すべき道を教ゆべし。疑はずして朝夕四六時中この心構へにて行はばよし。何時幾日迄に修行せよと命ぜらるれば是には特殊の法を用いて苦行せざるべからず。汝等には日々の限度なければ心静に行はば可ならん。
 汝等は早く会得せんことを苛だちて却って遅くなるなり。他人が一年にて達成するならば我、三年五年にてなるならんとの観念にて日々考ふることなく怠らず修得すべし。法は簡単なり。四六時中頭を休めて平にし下腹部の力をぬかぬこと。是だけにて達成するなり。即ち精神統一は是が行ひ得らるれば完全無欠なり。わさわざ是より精神統一をなす間、汝暫く待てよと仰々しき行ひをなすにも及ばざるなり。斯ることをなさざれば統一はなすあたはずば、急場の役には間にあはざるべし。

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