覚者慈音809  光明論上巻 巻の三  87番  戦時中小学に学びし者が第二国民として活躍を始むるによりて日本の姿もやや立ち直るなり教主、出座、厳戒の辞、礼拝  教主寛大講義

覚者慈音809
未知日記 第六巻 光明論      
上巻 光明論 巻の三     
          
                  教主寛大 講述
                  2019.1.29
                      第87番



教主、出座、厳戒の辞、礼拝


 汝等明鏡を見て不思議の感に打たれたるならん。是はセイキョウ、テッシン等が説きたる空源体性の現はれ、即ち神通力の作用にしてあやしみ不審するものが却って不思議とせらるるなり。大自然の法則に従はば斯くの如きことは敢て異とするに足らず。この道理は追々語りきかすべけれど、先づ最初に語らんと欲するは、今テッシンが話したる果実のことを何故に麗々しく述べたるかを汝等は悟りしか。唯珍らしき果実のあるものよと素通りに聞きたりとせば、汝等の信仰は有名無実の修行となるべし。何を考へて何を苦んでテッシンは斯る話をなせしかを考慮せよ。芽生とは何を意味する芽生なるか。又取れども取れども尽きざる果実とは何を意味するか。黴菌に犯されざれば腐敗せざるとは如何なることか。殺菌香料とは又喰へば餓えずなど等々を深く考慮して己の信仰を深くせよ。是等のことは我説明せずとも汝等にはさとり得べき智慧具はりあるを知るに依て説明は避くべし。さて本論に立ち返りて教へを進むべし。
 汝等が持つ望遠鏡を反対に見れば物体は遠く隔りて小さく見ゆるならん。是と同様に汝等の心と霊との差は隔り遠くして常に調節を描き居るを以て、すべての観察をあやまり居るなり。故に是が調節を計らんと欲すれば霊心を一如ならしめざるべからず。霊心を一体ならしむるには智慧と云ふ調節機能の按排によらざれば、此目的を達成するを得ざるべし。即ち魂魄の智慧によらざるべからず。汝等は己の心のみを働かせ居て智慧を働かせざるを以て己を過小評価なし、到底人智の及ばざる処と観念してすべてを放棄する傾向あるは宜しからず。人間には他の動物の及ばざる潜在意識の具備あることを知らざるに依て、己を低下せしめたる結果、霊心の隔を延長してすべては逆転するなり。是自然を逆用せしと同様にして目的を達成を見ること能はざるは理の当然なり。如何に善良の種子なりとも地質に適せずば善良の芽生を得ること難きが如く、人間も己の性質を知らずして種々様々のものをかき集めて種子を蒔かば、石原に名果の芽生を植ゆると同様の結果となり労して効なきに終らん。是等は凡て智慧を働かせずば心のみ迷ひて何等得る処なかるべし。汝等心を働らかすを智慧の働き居ると誤解し居るによって、物の考へ方に支障を来し或は早合点早呑みこみとなるなり。心を通過して奥底迄到達せしめ肚の底より湧き出づる考へにあらざれば正しき明案は得られざるなり。恰も表面自然と内面自然との関係の如し。

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