覚者慈音754  光明論上巻 巻の一  32番   伊東慈音

覚者慈音754
未知日記 第六巻 光明論      
上巻 巻の一    
                        
                  セイキョウ貴尊講述
                  2018.12.24
                  第32番


 汝等が国(日本)は古き伝統的習慣の悪風より生じたる精神作用が依存し居るため、執着心強きことは欧米人に比して最も強し。此悪風は早く除去すべきなり。然れどもこの執着の明らめ正しくせざればあるべからず。執着の中には離れてならぬものもあるにより、是は秘伝を修むれば理解するを以てここには略す。
 朝に夕に心を清くして人に接すれば人も同化せられて共に共に清くせらるるなりと知れよ。汝等思ひを人に現はさずして隠すならん。己は己の醜き心を包みかくして表面をごまかし偽り居て恥づかしとは思はざるか。表面は善良者然として心の中に不善を貯へ差引零となると思ふならばそは誤解なり。何となれば表面の善は神を欺き、心の悪は人を欺き居るにて神を欺くは罪深ければ加減は平均せざるなり。昔の人は学理より物の理を究むる力無かりしかど智慧より修養をたかめ居たりし故に、雪隠の神迄造り出したるなり。即ち雪隠は肉体の不浄物を排出するに必要なる場所なり。然るに斯る場所にも神は汝等と共にあるなれば、不浄を捨つる如く神の面前にて心の不浄をも捨つべし。即ち不浄場は汝の懺悔の場所に等しとの意味を無智の人には告げずして唯雪隠には雪隠の神あり、悪しき行為をなす勿れと賢愚両道に通じて教へとなせしならん。何々の神と称するはすべて此理由なるべし。汝等が常に口にするを聞けば豪奢なる生活は望まざるもせめては人並みに暮したしと。その人並みとは何なるかと聞けば即ち衣食住を指し居るには我も一驚を喫せざるを得ざるなり。汝等は日々餓え居るや。汝等は寒暑に耐ゆる服装を持ち居るにてはあらずや。汝等は安らかに眠り得る家に住居し居るにてはあらざるか。さすれば人並みの生活なるに何を望みて斯る言葉を口にするや。我には理解し能はざるなり。汝等は即ち贅沢を望みつつあるならん。よく考へ見よ。美味美食を日々摂取せば健康は損はるるなり。美服を纏ひ居らば立居振舞活躍に自由を得ざらん。大廈高楼(たいかこうろう)にも汝は全部の部室一杯に臥すことなかるべし。却って他の妬みを受くるのみならん。人間並みの生活、人並みの生活とは斯ることにはあらざるべし。即ち人の道人間の道を歩むならば是は真の世わたりとは人たるの道ならではかなはじ。教主は汝等をして人たる道を教へ給へるなり。即ち
 「太陽の光には朝夕昼夜の別あり。霊光には無し
 この教訓に於て見るも明白なる如く、太陽の光とは即ち汝等の生活には種々様々の変化ありて働く時間あれば、又休む時間眠る時間などある事を朝夕或は昼夜と仰せられ、是を汝等の心の迷ひなどにもたとえられ居るなり。又汝等は一日中神を思ひ居らざるべし。霊光は然らずして寸時も汝等を忘るる事なければ、霊光には時間空間も無き事を教へられたるなり。汝等は神を思ひ出す信仰なれど、神は忘らるるいとまを持ち給はねば汝等の如く時間空間のあらざる事の意味は理解せるならん。されば汝等が眠れる間にも霊光は休まず輝きあることも知らるるならん。汝等は常住坐臥寸時も休まず五臓六腑に心を配り居るや。然らざるべし。仕事をなさば仕事に奪はれ居りては肉体には意を用いず。霊光には斯ることはあらざるなり。
 生るれば死し、来れば去る。憶ゆれば忘れ、学ばずば知らず。是等も光に速度あるによりてなり。然れども霊光は生れざるが故に、死するなく、来らざるが故に去ることなく、覚えざるが故に忘れず。即ち霊光は覚ゆることなくとも学ぶこと無くともすべてを知るなり。是速度なければ来り去る要も無し。


×

非ログインユーザーとして返信する

あと 2000文字

※は必須項目です。