覚者慈音753  光明論上巻 巻の一  31番   伊東慈音

覚者慈音753
未知日記 第六巻 光明論      
上巻 巻の一    
                        
                  セイキョウ貴尊講述
                  2018.12.23
                  第31番


 真の明らめは形ある光にてはなるものにあらず。形ある光の明らめは明らめにあらずして唯照すのみ。真の明らめは全体の明らめにあらざるべからず。表面を照すのみにては真の明らめとはならざるなり。汝等はよく云ふ如く明らめても諦めきれぬとは、即ち表面の光の明らめによる故なり。霊光の明らめは全体の光の明らめなるに依って斯る言葉の出づるものにあらずと知るべし。陽徳は表面にして陰徳は全体なり。例へば一本の羊羹は陽徳にして、其味は陰徳と見るを得るなり。形を有するに依って破壊さるれど形なき味は破壊されず。又破壊するを得ざるものと悟らば、霊光の力は優れ居る事も頷かれ従って修養の参考ともならんと我は思ふなり。
 汝等陰徳陽徳を誤解する勿れ。我、説明の為に便宜上用い居れども、陰と云ふも形を有する光なり。即ち陰陽何れも形の光なれど言葉に窮して余儀なく用い居るなれば是を誤り考へて修養に支障を来す事なきよう注意すべし。我の陰徳と云ひしは霊光の作用を指したるなり。今後もその心して聞くべし。否其よりは寧ろ霊光の威徳と云ふは可ならん。依て陰徳と云はずして威徳と称ふべければ諒とせよ。我今に至って斯ることを云ひ出せしは多にあらず。陰徳には善悪ありて善行に囚はるると悪行に悩まさるるの区別を汝等に諒解する憂なからしめんと思ひたればなり。我、ここに善悪と云ひたれば汝等が思ふ善悪と、神の規律と相違する処をいささか語りをくも無意味ならねば示めさん。
 先づ、汝等が一日の生活について述べんに、朝起床して洗面するにも肉顔を洗ふは心の顔を洗ふと思ふべし。食事は肉体の栄養と思はず心の養ひと思ふべし。はき掃除は心の塵を払ふと思ふべし。床に入る時は霊光の威徳を感謝して臥すべし。即ち心身一体の修養となるなり。是をなし得る人には我は善悪を語るの要なき完成者なり。人間界の道徳は肉体を有する間は守らざるべからず。比喩にも郷に入っては郷に従へと云ふにあらずや。然しながらそは相対なれば人間同志のことは其場限りにて消滅し神の道に違反すること多し。例へば汝等衆人に贈物をなすに粗品と認むるは不敬ならずや。汝の心は我には良品と思へど先方の高き家庭には粗品と思ふならんと敬ひの意味が、却って不敬となり居る如き過失は神の道にはあらざるなり。所謂人間同志相互に作りたる規律には斯る有耶無耶の定めごと多き故、善悪に於ても是非を論ずる能はざること多し。されど神の道には斯る誤てる定めなく善悪の区は明瞭なり。霊光は善にも悪にも和して悪は自然に消滅せしめ善は向上せしむることの理論は先にも述べたる如くなれば、汝等は唯日々行為に於ても朝洗面の時より顔を洗ふにも心を洗ふことの思ひを蓄へて洗面し、食事するにも肉体の栄養と同時に心の栄養も計るなりとの思ひにて摂取するを怠らずば、霊光の輝きは自づと光彩を放ち来て、後にはなさんと考へずとも知らず知らずの間に、威徳は昂揚められ行きて善行は向上し、悪行は消滅すること疑ひなきなり。 

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