覚者慈音704  未知日記 第四巻  心霊雑話  伊東慈音

覚者慈音704
未知日記 第四巻      
心の巻     
      三気と心意  
      其の2     
                   ミキヨウ貴尊講述


 我、汝等に云ふべし。人ありて汝等に千金を持ち来らば、生涯安楽に暮らし得る不思議の宝を与えんと聞かば、汝等は夜の目も眠らずして千金を求めんがために、努力奮闘せんこと疑ひなからん。
 然るに我が教ゆる神の道に依って、永久の安楽を聞きても信を強くせざるが故に、遊び半分の行をなすは即ち信の薄き故なり。元来なし得ることをなさんとせざる原因をよく考へ見るべし。なさんと焦れど肉体自由ならず。心進まず。又他より妨げありてとか言葉の云ひ訳するは心の辞令にして、実はなさんとせば如何にしても、なし得べき時間余裕のあるは事実なり。然らば是をなさしめざるは魂か魄か、はたまた心か意かと云ふ方面より観察を下し見よ。信ずることは相対性より現はるる現象にして、その結合の結果が信不信となることは、既に汝等も知る処なり。此信不信は何れに感応するかと云ふに、先づ心意に感じ来ると仮定して工夫し見よ。此時心には他の事柄を思ひ居らば、是表面の聞きかたとなるによって、信不信の区別なければ、浮雲の如く飛散して俗に座談四方山の噂話を聞くにすぎざるなり。若し他より己が嗜好に合ひたる話を聞く時、心が直ちに魂に告げて、魂心一体となりて聴するが故に、忽ち魄に通ずるに依りて、ここに予め要旨を受理す。然して魂魄ならざる心意が是非の談合を始むれども、魂魄霊には完全に通ぜざるなり。故に成立せず。完全に通じて魂魄霊の三気が同意して始めて成立を見ると考へて工夫せば、棄執着の行は必ずや達せらるる事は云ふ迄もなし。所謂汝等の信仰は心意の信仰にして、魂魄の信仰にあらず。故に散りては集り、集りては散る。斯る信仰なるによりて行はんとすれど行ひ得ざるなり。我、汝等に告ぐ。今汝等は登山せんとして岩をよぢのぼり居る姿なり。その石にかけし手を離さんか千尋のの底に落ると考へ見よ。きまぐれ信仰にては居られまじ。何としても登らざるべからず。斯る時煙草を喫ひたしと思ふか。酒を飲みたしと思ふか。情欲を恣に行ひ度しと思ふか。金銭財宝を受けたしと考ふるか。真剣に考ふることは何なるか。手は疲れたり。足は戦き慄ふ。汝等手をはなすか。悠々煙草をくゆらすや。修行の積みたる者ならば知らず。修行半途の汝等には思ひもよらぬ事なるべし。
 魂心一体となりて働く念は破壊となり、魄意一体となりても、念は現はる。故に組織となりて現はる。故に一方性の念は完全なる働きをなすねのにあらず。完全なる働きと云ふは正しきを云ふなり。又四線の法則より説けば、魂心一体は破壊分解一体にして、魄意一体は即ち組織融和一体を云ふなり。依って魂心破壊、魄意組織の四線が一体となる事に依って始めて霊の空源力が働く。されば真の信仰を得んが為には、魂心魄意を一体ならしめざれば、信仰は糠信仰となることを悟らざるべからず。


×

非ログインユーザーとして返信する

あと 2000文字

※は必須項目です。