覚者慈音705  未知日記 第四巻  心霊雑話  伊東慈音

覚者慈音705
未知日記 第四巻      
心の巻     
      三気と心意  
      其の3     
                   ミキヨウ貴尊講述


 「慈音よ、我、汝に命ずることあり。其は他なし。汝の時計の狂へるを我旧に復さしめたり。我、姿は見えざるに斯かることを行ひたり。今又是を狂える時の姿にかへすべし。故に汝は念力をもって是を旧に復さしめよ。汝は眼なくとも姿あり。なせばなるべし。行ひ見よ。然して念の力を養ひて、魂魄の力の如何に大なるかを体得すべし。」
汝等聞くべし。今我、慈音に命じたる如き無理難題を汝等何と思ふか。もし慈音が機械に
手を触るれば、機械は破損して用をなさざるに至らん。手を触れずして復旧せしむる念力を会得せば、他人の病苦も手を触れずして治癒せしむる力となる。彼の信仰を益々其度を
加ふるに至らしめんと思ひて命じたるなり。なせばなるなり。
不能の業を命じたるにはあ
らず。汝等は僅少の智慧ありてこの智慧にたより、迷信ならざる事もなり難ければ、斯る事は迷信にて、なさんとするは愚と嗤はるるのみ。徒に貴重の時を空しくすることを敢てせんやとて、放棄するが故に却って空しき時を空しきことに費し終るなり。信仰の道を教へられて是に従はず、己の智慧にたよりて判断会得せられなば一路邁進すべし。他より如何なる誘惑の手をのべ来るとも眼もむけず耳を傾くること勿れ。
 怒り悲しむも迷ひなり。一時の楽みに一時の喜悦も亦迷ひなり。魂に傾き魄に傾けばなりと悟らば、唯一時の喜悦哀楽に囚はるることなく、行には行を重ぬるを真の楽みとして修むべきなり。魂の念、魄の念を区分したる念を残すことなければ決して迷ひなし。不安と思ふは即ち一方の働きて一方は潜在して眠り居る故なり。恰も昼夜の其の如く働き居るも、眠るもののある故なれば、ここに覚めて考へてあやまつこと勿れ。
 汝等は知らざれど宙に迷ひ、又他の低き世界に生れかはりて、娑婆以上の苦難をなめつつあるを見ては、うたた憫なるを禁ずるあたはず。心して解脱の道を残し、後より来る者の為に救ひの手を差し伸ぶる業を計ることこそ汝等が務めなるべし。屡々語る如く霊魂は不滅なり。仏教に於てすら往蘇現蘇の道あるにはあらざるか。よくよく味はひて些細の娯しみを顧みず、地球の上に住する間に修行して肉体の欲求を捨てよ。我欲を捨てよ。自己を棄てよと返す返すも、我は汝等に勧むるなり。もとより道は遠からず。近きにあるを悟るべし。
 哀愁を感ずる勿れ。無情も感ずる勿れ。感ずるよりは寧ろ無情は当然喜ぶべし。無情のために哀愁を感ずれば行は鈍りて心気弱る怖れあればなり。心気衰へて道を歩まば近き道は尚遠ざかるべし。幽霊は柳の木の下にあるにはあらず。汝等が身体にあり。仏も悪魔も亦然り。迷はず成仏せよと言はれなば、汝等は哀愁を感じて心の勇気もくぢかるべし。是何故ぞ。人の臨終を思ふが故か。或は仏教の伝統的習慣か。今我この言葉を変へて、栄光は汝等の身に光り輝かんと絶叫すべし。勇気をくぢく勿れ。すべてはたのし。魂魄は霊に任すべし。霊は神に従ふて迷はず。すべては一なり。恰も大樹の如し。根に依って葉、分布す。本末一如たり。地球に熱あり。人にも然り、地上に水あり。人にも然り。地上に土あり。人にも肉あり。地上に草あり。人にも毛髪あり。地上に風あり。人にも気息あり。地球に生命あり。人にも然り。地球は働く。人も働く。焉んぞ相合せざることあらん。地球は迷はず。されど人は迷ふ。是不自然にして神の命に反す。故に道をふみ外して転落の憂目を見る。汝等命を固く守りて、正道を順歩して迷はざらんことを冀ふ。

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