覚者慈音59  大霊界 如意界終はりて後は如何 正しき信疑の扉を開け  その2  教主寛大講義



未知日記講義第一二巻  大霊界  巻の壱                                NO 19    
如意界終はりて後は如何   その2               
                 
                     教主寛大 講述


 霊界に進みたらば始めて信の力を得て天界を見きはむることあるによって、我等の説の真なりしことをはじめて知るに至らん。我も語らず慈音も訊かず。言葉なき言葉にて慈音は活眼を開らき、斯くも不可思議の妙域に達したり。故に我等は彼を愛す。彼は疑はずして我等に従ひ我等の手を握りて放さず。唯々教へを受くることに努力なしつつあるによって、斯くは天眼通を得たるなり。神を知らんとするもの信ぜずば神は現はれじ。信ずるとは疑ひの戸を開きて、自由に出入りを得せしむるにあらざれば、神は入り来らざるべし。一室の部屋のなかにありてかたく戸を閉ざし居りては、何処をも見ること難からん。戸を開き見よ。光も入り来り、空気も通ふ。恰も汝等衆人はそれの如し。小さき肉体の中に大なる魂を押し込めて、是に何物も見せしむることをせず生活なし居りては、光もうとく新鮮なる空気も入り来らず、唯病みて死する他なからん。開くべき処を開きて閉ざすべき所を閉じ、自由の出入り口を備へをかば悪しきものは追ひ出して入るを許さず。正しきものは開きて自由の出入りを許すことを得るに不拘、汝等諸子は是をなさざるなり。斯かる有様にては動物性より、人間性に変はる事すら困難ならん。我等に云はしむれば、汝等衆人は土中に伏する土竜の如しと云ふの他なきなり。一度地上に現はるれば、眼眩みて狼狽するの他なからん。土竜となる勿れ。土竜とならんよりは寧ろ蛙となりては如何。小さき枠の中に囚はれて大業を修むる事に心附かざれば、長き苦しみを味ふの他なかるべし。
 汝等衆人よ。疑ひと云ふ扉を開きて、信疑の正しき扉に変へよ。然らずば疑ひの扉は完全に開らくこと能はざるによって、信の直を入るる力なし。正しき信疑は自由なり。この理を知るや。この理を認識せずば信の力は得られざるによって少しく考慮を廻らせよ。

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