覚者慈音58 大霊界 如意界終はりて後は如何 その1  教主寛大講義




未知日記講義第一二巻  大霊界  巻の壱                                NO 18    
如意界終はりて後は如何   その1                  
                 

                     教主寛大 講述
 


 汝等衆人行全くなりて天界に至り、此三カ所に於て新しき教へを受けこの所にて学び終はらば、その後皆其々の分野に従ひて各所に配分せられて任務に服し、更に階を重ねてはじめて永久不変の楽土に安住することを得るなり。慈音の如く如意界の教へを受けつつあるものと雖も、その教へに含まれたる事柄の如何によっては、既に未知日記にも記しある如く、セイキョウ、テッシンによって五大鏡八大門等々の見学をうけてその原理を授けられ、二流界一流界はもとより其以下九流界の各所を見聞して、天界の大意を認識なせしのみか、汝等諸子の住む太陽系宇宙、更に全宇宙の中に備はれる種々様々の事柄をも教へられ、十流界以下の姿をも見聞なしつつ今尚、次より次へと導かれつつあるなり。わけても近頃は全宇宙の中にある二個の太陽にて組織せられ居る太陽系宇宙(仮称)を今は導き教へられつつあるなり。対立太陽系宇宙の中に、汝等衆人が住む地球と同様の世界ありて、その中には終日昼間のみにて夜間のなき世界あり。其は二個の太陽が互いに循環なし居るため昼のみにて、夜のなきため終日日の暮るると云ふことなき、不思議の現象を見せつつある所もあるなり。この界に住む人類は天界の人達と同様にて、眠ることなく動労をなしつつありて倦むことを知らず、たえず任務に服し居れり。されどこの界は未だ九流界には進み居らず。十流界と九流界との中間に置かれある場所なれど、軈ては九流界に構成されるならん。斯かる場所すら慈音は見学なして唯奇異の感に打たれ居れり。斯くして天界のすべてを学し終らば、軈ては昇天の任務に服するを許さるるならん。されど未だ学ぶべきこと多々ありて容易に昇天の行はなり難からん。或は人体滅後の後になるやも計られざるなり。全宇宙の組織は無限にして是を究め尽すことは、僅少の行にては得らるるものにあらず。是等の事柄もみな如意界の教への中に含まれあることなれば、如意界の教へを卒業するは容易のことにあらず。如意界の教へに従ひてこの界のすべてを修め尽して行終はらば、其の後は各所に配属してその所にて、又新しき任務に準ずるなり。かくも深淵なる天界の様を慈音は錯覚作用によって己自ら考へし空想を認めありと思ふや。もし慈音が斯ることを空想して記したりせば、慈音は偉大なる学者ならずや。汝等衆人然とは考へざるか。疑へば限度なし。我等が説を聞きても疑ふ者は終生信ずる力を養ふこと難からん。
斯る空虚なる事は事実に直面する迄、到底信ぜられざるは当然なり。慈音を大相場師と思はば思ふも可ならん。此書を読むもの空想小説として見るも可ならん。其は汝等が衆人の心委せなり。我等は慈音を通じて事実を教へ居るものにて、信ずると信ぜざるとは汝等衆人が心委せにして、我等が罪科にあらず。人間性と動物性すら解する事のなし難き汝等衆人にして如何でか未来の真相を究め得る力あらんや。されば先づ汝等諸子は早く動物性をはなれて、人間性となり、更に仏教に云ふ菩薩道を修得し魂を発見して魂界に進み、然して霊界に入るにあらざればこの理を認識把握することは困難なり。兎に角天界の事柄は参考迄に知らしめをくに止めん。

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