覚者慈音694  未知日記 第四巻  心霊雑話  伊東慈音

覚者慈音694
未知日記 
未知日記 第四巻      
心の巻     
        信を正しくせざれば魂は迷ふ      
        幽霊画家  其の2
           
                 ミキヨウ貴尊講述


 邪滔(じゃとう)の戒にて説きたる如く、是等の魂は気の合ふ処の母胎を尋ね求めて、是に宿りて残余の定命を全うするもあり。然らざるものは地上又は空間をさ迷ひ居るなり。斯く語らば汝等は云ふべし。若し宙に迷ふならば、その魂は知己身内などに救ひを求むべきに、未だ死したるものの音信を聞きし事なしと。然らば問ふべし。汝等が知己のもの転宅して通知なければ何処を尋ね求むべきや。恰も要は是に等し。
 肉体分離したれば意の繋がり切断されて居所不明となる故に、尋ね求むる道さだかならざればなり。心と肉体関係切断せられたれば、熟睡中に他の場所に運ばれしも同様にて、醒めて尋ねる人もなしと云ふ状態となるなり。肉体を有する間に於ても、健忘症とか、又は痴呆症とか云へる病気にて、過去の経歴のすべてを忘るることさえあり。ましてや肉体を離れたる魂魄は是を忘るるは当然なるべし。
 然らば怨恨とか念も忘るるにはあらずやと思ふならん。是等は如何なる事かと云ふに、即ち怨み恨まるる念は相手の魂と此方のとの継続が、気光素に依って継続せられある故に、何処に於ても感応なし居るなり。恰も無線報知機の如しと思はば可なり。霊魂も特別の場合この波長合したるものには、善悪を問はず通ずるものあるなり。されば完全なる機械を発明せば魂魄は見る事も得べく、又聞く事も得らるるなり。此他修行にたけたる人、又特殊神経的の人にも魂魄は見ることを得るなり。
 天性異様の人に見ゆるは危険にして注意せざれば、精神病者となる怖れあり。斯る人は己自らを神の如く考え、又周囲の人も然あらんかなど、あさはかなる感を起す過失の神となりて、果は彼を狂気せしむるに至らん。慎むべことにこそ。この他俗に神懸りなど称する事のあるは、即ち一種の変態生神経病者に多し。修養修行の通達したるものならば、決して神懸りなど云へる誤したる事をなすものにあらざるなり。神は斯る愚なる事を行はしめ給はず。されば決して是等の事を信ずる勿れ。
 総じて是等は浮住界の魂の悪戯による事多ければなり。所謂山神鬼神或は外道の制多に帰依する者には、斯る表面眩惑の仕業あるも彼によりて救はるるものにはあらず。斯く説き来る時、汝等は云ふべし。天寿を全うせざるもののその残余は空間に浮住するならば、全きを得たるもの如何あらんと。尤もなる質問なり。修行の道を得たるものは迷はず。然らさるものは浮住界に迷ふなり。故に肉体を有する間に道を求めざるべからず。寿命全からざるは、又宿る事を得れども、全うせるものの迷ふは長時の苦を離るるを得ざればなり。斯く語りなば汝等は問ふべし。再生或は七生報国等は如何にと。然り、是には混み入りたる理由あり。静かに聴くべし。



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