覚者慈音693  未知日記 第四巻  心霊雑話  伊東慈音

覚者慈音693
未知日記 
未知日記 第四巻      
心の巻     
        信を正しくせざれば魂は迷ふ      
        幽霊画家 其の1    
                 ミキヨウ貴尊講述




「さる所に一人の画工行脚の旅に出で、途中山津波にて死したれば、其の村人より彼が妻に知らせたり。妻は彼を懇ろに弔いありけるが、彼旅立ちたる時、我三年後に帰るべしとの約を守りけん。三年後妻のもとに立ちかへりたれば、妻は驚きて、
「汝は山津波にて死したるにはあらざるか」と問ふ。彼曰く「否死せしにあらざればこそ帰宅せしにはあらずや。我、描きたる画帳もここにあり」とて妻に示めし、又旅を続くるとて出で去りたり。此時妻は「次ぎに何時かへるや」と彼又三年後と云ひて出でたり。然るに三年を経ても帰らず。妻は矢張り以前帰宅せしは亡魂なりしならんと尚も弔ひ追善を怠らざりき。
然るに六年を経て彼は帰り来りたり。妻は如何せしかと訊けば、彼、約したる三年は今日ならずやと云ひければ、妻は訝りて六年なるにと不審すれば、彼暫く考へ居りしが、妻に向ひて云へるよう。我に影ありやと。妻燈火を彼にむけしに影なければなしと答へしに、彼始めて己が死せることに心づきけん。よよとばかり泣き伏せしに、姿は消えて失せたりと云へり。
是は幽霊画家と云ふ伝説なり。然して幽霊に対する伝説は昔も今も行はれあり。精神科学も心霊科学も是等幽霊に対する研究は、学者間に於ても行はれあれど、未だ確乎たる研究の達成は得られざるは当然なり。幽霊写真或は幽霊招帰法などと愚にもつかぬことを行ひ居る輩もあり。是等は即ち幽霊見たり枯尾花の類なり。もし真の学理研究をなさんとせば、斯かる方法にては何日迄研究を重ぬとも無益なるべし。
幽霊の研究よりも寧ろ念力の研究を進めざるべからず。是には伝説の数々を聴取する要あるなり。幽霊画家は九年の間、下界の地上を行脚し居たりと云へることなり。果して九年の間、地上をさ迷ひ得るものなるかと云ふに、長きものは二,三〇年間地上と空間を往来するもの、甚だしきは百年も迷ふものあるなり。
現在人は斯かる事を語らば誰も耳を傾くる者なかるべし。仏教者は三十三回忌終らば、上昇すと云へり。我、汝等に是より語る処の話を聞かば何人と雖も必ずや信ずべし。

此処に百年の定命を受けたる人ありと仮定せんか、其の人不慮の災害にて五十年にして肉体を失はば、霊子は尚五十年の余裕を保持す。此五十年を何処におくべきかを考へみよ。授かりし天命なるが故に直ちに神に返すあたはざれば、其の年月は地球に残しおくは当然の結果となるは云ふ迄もなし。故にこの魂は宙に迷ひて五十年後にあらざれば天界にかへるを許されざるなり。彼等は死して死したるを知らず、宙に迷ふなり。是は天より引き上げられざるが故なり。心霊雑話等を参照して推理せば明らかに知ることを得ん。所謂死したるにあらずして遊魂なし居るにすぎざる故なり。されば自殺は罪悪なりと云ふも皆此理より出でたる事を知るならん。」


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