覚者慈音675  未知日記 第三巻  念力集    伊東慈音

覚者慈音675
未知日記 
未知日記 第三巻      
念力集     
        その9      光の巻
        気光素は如何にして働かすか
        
                 ミキョウ貴尊講述
                 テッシン貴尊講述
                 円海大師講述


 宇宙に生存するもの皆気光素を具備せざるは無し。然してこの作用は常になし居れども、人はそのものの働きなるに気附かざるなり。又気光素なる言葉は我の作りて用い居ることばなれば、知らざるは当然のことなり。
 例へば集りて談話中話しとぎれて少時沈黙続く時、偶然にも二者同時に同じ言葉を発することあらん。斯るものは気光素の作用の一例にして、所謂一方の気光素が他へ移り感じて、共に現はれたる現象にすぎず。又是と同様なることは他に聞かれて悪しき言葉を眼に云はせて通はしむることもみな気光素を働かす方法にして、是等の例は数多し。
 汝等気光素を作り出し、且つ是を働かしむるに特殊の方法あるかの如く考ふるは誤なり。もとより或術に於て特別の法あれども、是は秘伝に於て教えらるべければ此処には記さじ。些細なることと考へ居りて肝要なることを見のがし居る人心なれば、常に意を用い物の大小或は軽重に囚はるることなきよう用心肝要なり。
 俗言に千丈の堤も蟻の一穴と云へる言葉を常に心におきて物事を軽んずべからず。おろそかにすべからず。人と対座中気光素に依る共鳴作用は今も述べたる如くなるが、汝等是等のことに対して隔りの遠近を考ふるならん。膝を交へ肉体の接近するに依って此観念が起れど、離れ居りては通ぜずと思ふは距離を考ふる故なり。此距離の観念を取り去らば膝を交ゆるも、千里を離るとも同様の結果となるに思ひ至るべし。遠近を考ふれば天国は遠し。十万億土はわづか一足と云ふにあらずや。気光素は距離を知らず。又遠近を計ることなきを知りて用い働かせば、意の如く意のままに働くなり。距離は遠しと考えなば、気光素の働きは鈍くなりて衰るなり。即ち「身は遠く千里の旅に上るとも、心は親と共に暮さん」との如く考ふれば、気光素は作用を易々となすなり。
 自在論にて述べし如く、思へば気光素は知らせをもたらすと悟りて可なり。例へば我、彼の人に斯く斯くの事を伝へたしと思い浮かばば、気光素は伝ふべきか、伝へざるべきかと待つ。此時伝へねばならじと念を凝らし、伝へ得るとの信念を昂揚すれば、気光素は
既に伝へ居るものと信じて可なり。されど通じたるか、通ぜざりしかと不安の念あらば、気光素も亦迷ひたれば通ずることを得ずと信ずべし。受信者が知らざるは、受信者の気光素によりて相違あるなり。故に夜眠れる頃ならば、気光素によりて夢にて通ずるなり。故に信念は大切なることは知らるべし。
 気光素を強むることは行法にて説れし如く、我親に笑顔をむけよと云ふ行法、及び感謝法を絶えず行ひ進めなば、気光素は漸次増大して働くこと疑ひなきなり。

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