覚者慈音674  未知日記 第三巻  念力集    伊東慈音

覚者慈音674
未知日記 
未知日記 第三巻      
念力集     
        その8      光の巻
        暗より光へ進め

        
                 ミキョウ貴尊講述
                 テッシン貴尊講述
                 円海大師講述


 雑念妄念執念等は心を暗にす。疑念邪念も亦然り。妄執の念を起して人を呪ひ、自らも亦苦しませんよりは、一歩退いて考ふべし。他より受けし悪行を怨みて、其鬱憤を晴さんと念ずるより、その理非を神に任かさん如何に!  神は曲直を審く故に彼審かれずば、我に非なる考えありしと悟らば、妄執念の苦みよりまぬがるるなり。彼、非なれば神は容赦なく審き給ふ。
 さる処に一人の分限者あり。其身内に貧者ありて常に富者に救ひを求めたれど、彼は応ぜざるに貧者は深く怨み居たり。或時貧者は身ををくべき家も他人の手に渡りて住むことを得ず、飄然土地を離れて他人の頼み難きを悟りて、朝星夜星を戴きて働き、漸く土地に帰りて家を取り戻さんとなせるに、家は他に移り居らざるのみか、田地田畑もみな我所有となり居るに、如何せしかと思いて訊けば、富豪の人是等を購ひたりと聞きて彼に理由を訊けば、曰く、「我、汝の依頼毎に恵み居らば、汝は馴れて働かざるべし。さらば汝の生涯は貧しきに終らんことを憐れみて汝の望みに応ぜざりしに、汝は土地を離れて働きに就き居るを聞きて、総ての汝のものを救い置きたり」と、聞きて今更に怨みしことを悔いたりと云ふなり。
 人間に於すら斯る慈悲あり。神の慈悲は深くして斯る比にあらざることを悟り信ずべきなり。信仰は徹底的ならざるべからず。一旦斯くと信じなば、たとえ他より如何なる言葉にて悟さるるとも変じ動ぜざる底に真ならしめざれば、真の信仰は得られざるなり。右せよと云はるれば右し、左せよと云はれて左するが如きは、信ずることを得ざる人にて生涯苦労多し。信仰したる上にて、たとえ如何なることの起るとも、其信仰は断じてひるがへすことなき信念を持つべし。斯くしてその信仰の徳は現はるるなり。迷へる信仰動揺する信仰は暗く、正しくして迷はざる信仰は明るきなり。
 神を信ずると信ぜざるとに不拘、人を呪ふは悪にして人を助くる念は善なること常識より見るも明白なれば、呪ひの念は自己を暗くし、助くる念は自己の心を明るくするは論を要せず。暗きを離るれば明るくなること必然なり。天に口なし。人を以て云はしむると云へる譬喩の如く、すべての人の言葉は神よりの言葉と思ふに至る迄の信仰をせよ。
 然る時は人より謗らるるとも腹立しき念はおこらず、深く反省するに至らん。然して他を敵視することなく、敵視せざれば仇もなし。仇なくして何ぞ怨みの念のおこる憂ひあらんや。却って喜びの念に変じて明るくなるべし。暗きより明るき光に移る方法とは是なり。神あるも神なきも、神ありと思ふだけにてもかばかりの徳は現はるるなり。ましてや神のあるに於てをや。
 我は悪しき故に神の教えに導かる。我、もし善ならば神を知らざるべしと思いて、修行せよ。昔ある一人の悪僧を教えたりしに、他の僧達「彼を追ひ出せ」とせまりしに師の坊曰く、「汝等出でよ。出づるとも道は開らかるべし。然れども彼を出せば迷はん」と云ひたりと。
 又盗みする子が可愛くて、縄とる人をうらめしいと云ふ親心にも見らるる如く、神は悪人を捨て給はぬなり。責め給ふも、罰し給ふも慈悲なりと悟らずして、怨むは迷ひなり。責められ罰せらるると悔ひ改めざるべからず。暁には喜悦を感じ、夕暮れには哀愁を誘ふは自然なるべし。淫婦と盗人は是に反す。暗に働く者は少なく、明々裡に働くは多し。何れを是なりと考ふるや。汝等の心に任せん。
 妄念と執念は滅後にも宙に残ると知るべし。肉体あればこそ苦も取り去ることを得ん。肉体を離れて後の苦は如何にしてぬぐひさることを得べきか。滅後の苦を慮って肉体を有する間に早く度脱して悪念を捨てよ。悪念なき人は慎みて妄執の悪念を生ぜしめざるよう心がけよ。然せば夜は明けて朝日は汝の心に輝かん。



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