覚者慈音671  未知日記 第三巻  念力集    伊東慈音

覚者慈音671
未知日記 
未知日記 第三巻      
念力集     
        その5      光の巻
        虚偽の信念を捨てよ


                 ミキョウ貴尊講述
                 テッシン貴尊講述
                 円海大師講述


 他人の前をつくらひて己は如何にも信仰者の如くよそほひて朝夕神に仕えて信心堅固なる如く身する人あり。汝も其一人ならずや。虚偽の信仰こそ苦めらるるばかりにて益なし。故に偽はらざる信仰をなすべし。神を見ざるに神を見し如く語り、自尊心を昂めんとするは愚なり。仙人が婦人の脛を見て通力を失ひて空より落ち、名僧とよばるる身が婦人に迷ひて数珠を切り寺を開く等、是虚偽の信仰なり。真の信仰あらば斯ることのあるべきことなし。
 神を見しと云ふは偽りなり。斯る者を信ずれば己も邪道にふみ入りて偽の信仰者となりて苦みに陥らん。俗言にさわらぬ神に祟りなしと云ふは、この虚偽の信仰より受くる祟りなることを考え、斯る者に群るを止めよ。
汝、慈音に於ても今汝に万金を与えん、我に組みせよと言はれなば、汝の心に動揺を来すならん。よくよく信仰を厚くして迷はざること無きよう留意せよ。偽りの信仰は神を翻弄するに過ぎざれば、神は耳も眼も閉ぢ給ふのみ。慎まざるべからず。
 神に願ひをかけて意の如くならば信じ、然らざれば捨てる等の信仰はなすべからず。世の中の多くの人の信仰は皆是なり。何処の神はよく利く。何処の神は利かぬと云へる信仰はなすべからず。是等もすべて偽りの信仰なればなり。世には宗教者が自己心より我が祀る神は霊験灼(あらた)かに在しませば、罰せらるることも亦重し。信仰者には限りなき福を授け、不信仰者は重く罰せらるるなどと躍起となりつつ宣伝して、その福徳は我身につけんとする横着者さえあるは、何と云ふあさましきことならずや。汝等迷ひを払いて真実の信仰者たらんことを願ふべし。
 道は遠くに見ゆれど近し。邪道は近く見ゆれど陥穽あり。遠きを求むるとも近きを求むる勿れ。真の信念は神の喜び給ふ処にして不実の信仰は厭い給ふは汝等もよく知る処なるに、何故信仰を厚くせざるや。他人に羨やまれんとするが如き信仰は偽りなることは既に述べたり。幻影を見て神と信ずるが如きは迷信なることも既に述べたり。依って偽らざる信仰によらざれば、真実の神のあることを知るを得ざることを悟りしならん。
 空源力には汝の親の同化しあるを以て、汝の親は神の存在を知り得る故に、不実の信仰も汝の親は知りて眼、耳をふさぎて汝等をいましむることと心得て、真の人の道即ち神の道を歩まば、利益は願はずとも福徳は与えらるべし。もし人ありて、「我、信ずる神は万金を与えたり。然るに汝の神は汝に労苦を与ふるのみにて、何も与へざるにあらずや。斯る神を信ぜんよりは、我神につけよ」と。又曰く、「我は信仰によりて斯く斯くの術を得たり。汝の神は何物をも教えず。斯る神に従はんより、我神を念ぜよ」と云うとも、汝等羨み迷ふ勿れ。金銭財宝は滅することあり。術は娯楽にすぎず。真の信仰より得たる福徳は多くの人にわかち与ふとも尚いやまさるのみ。尽きることなければなり。

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