覚者慈音672  未知日記 第三巻  念力集    伊東慈音

覚者慈音672
未知日記 
未知日記 第三巻      
念力集     
        その6      光の巻
        ほどこしの念を厚くせよ


                 ミキョウ貴尊講述
                 テッシン貴尊講述
                 円海大師講述


 
 余剰ありて施すはなし得べく、余りなき物を施すは難し。されど汝等今日の食あらば、其一食は施すことを心掛けよ。即ち三食を二食になして、一食を施す底の心掛けを養へよと勧むるなり。施しと云うことは行いて後、娯しきものなり。念力を増大する方法としては極めて大切なる業にて、是を訳なく行ひ得るに至らば信仰は将に達せられたるなり。人間はあまれる上にも望むものなり。故に此欲心を棄てることを得ば、執念を捨てることも容易とならん。さればその施しの念を養ふこと肝要なり。己の利を考へて施すは悪しくはあらねども、後に思ひがけぬ悩みをおこす事あり。施して喜ばれんことを考へて己のものにあらざるを施さば、却って受けたる者に嘆きをかけて仇となる事多し。虚偽の施しなればなさざるがよし。されば施さんとしてなくば何を施すべきか。曰く、「汝の心の真より出づる同情の念を施さば可なり」と、我は答ふるのみ。悲しむものには慰めの言葉を施すべし。怒る者には柔和ならしむる緩和の法を施す等種々様々に施すものはあるべし。憐れむ心の深きあらはれは品物となりて現はるるなれば、先づ慈悲あはれみの念を施して施しの情を作るべし。
 ここに注意すべきは施しを与ふる事と混同する勿れ。施すは与ふにて与ふにあらざるなり。乞食に施したりと思ふ勿れ。是は与ふるにて施したるにはあらざるなり。犬に食を与へたると同様なればなり。我云へる乞食とは乞食に馴れて、一種の業となし指すなり。乞食ならざる乞食を云いしにはあらずと知るべし。施しと与ふるの相違は、慈悲と情との如き相違なり。又贈ると捨つるとの如し。品物を贈ると是をつかはすとの意味は大いに異なるべし。施す心には慈悲の念深く、与ゆる心は情にすぎざるなり。故に施しの範囲は極めて広く、あたふる意味は範囲せまし。故に施しは容易ならざるなり。簡単に考ふること勿れ。施さんと思ふ心は慈悲の表現にて、神は常にすべてに施しをなし給へるなり。我、汝等に此講をなすも施しなりと知るべし。


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