覚者慈音670  未知日記 第三巻  念力集    伊東慈音

覚者慈音670
未知日記 
未知日記 第三巻      
念力集     
        その4      光の巻
        信念を強くして胆力を養へ


                 ミキョウ貴尊講述
                 テッシン貴尊講述
                 円海大師講述


 我は心小さし思ふ人は胆力安定せざる故なり。神を信じて常に神と離るることなくんば、何ぞ恐るるものあらん。我、今、汝等に与ふる神と云ふは、即ち汝等の親なりとしるべし。汝等が親と云はんより神と云はば汝等が心に銘ずる力重ければなり。故に神と説きしなり。即ち神と平素共に暮して恐るべきものあらんや。臆するは神と離るる故なり。神ありと信じて疑はずば、信念加はりて胆力おちつき来る。餓えたるものに食を与え、病むものに医薬を与えよと云ふに誰か異論を称ふるものあらんや。是に対して食ふも死し、食はざるも死す。薬を服すも死ぬるものは死す。食を与えずともよしと云はばその理にして理にあらず。さとりに似てさとりにあらず。
 世の中は理屈のみ多くして却って人の心を乱すなり。賢者は惑はずと云ふも、愚者は迷ふ。心せざるべからず。理屈の世界に生存するが故に、気にかかることのみ多くして小胆となるなり。或富豪の人、盗難を怖れて賢固なる倉庫を造りてその新築の終りたる時、盗人来りて倉庫の裡に祝ひとして酒樽を据え一葉の短冊を添えたり。曰く「盗まる品はわづかのものぞかし、とかくお倉の火の用心こそ」とありしと。是を見て主人も大いに悟る処ありしとなん。斯ることは一例なり。
 汝等は訳なき事に意を用いて、身心を労苦すること多き故に、大事を失することの多きは遺憾なり。伝統的習慣の災悪は斯ることにも見らるるにてはあらざるか。理論は智慧巧みにして言葉多き者に破らるれど、事実は正しく行ひ得たるものの勝利に帰す。空論よりは事実ならざるべからず。餓ゆれは食によって満足し、病めば医薬を用いて治癒するは事実なり。盗人の歌はもとより身勝手なり。されど火災の被害は盗難の比にあらざるも事実なり。されば汝等は人間より勝れたるものは神なりと思ふは事実ならずや。神を見ざるが故に、優れたりと心に思いつつも、疑ひの生ずるも事実なるべし。此処を考え見よ。
 眼に見ゆる神ならば其力の程度も計り知る事を得ん。然れども眼に見えざればこそ力の底は知ることを得ざる程の深きを有するなり。果して神があるものか無きものかと迷ふによりて、迂闊なることを廻らすなり。よく考えよ。汝等先づ神は無きものと見て判断するも亦無意義ならざるべし。軍人が命終らんとして母をよぶ。母は彼が許には在るにあらず。幼き時よりの情が身に沁みたる現はれならずや。故に見えざるともありと思いて、其力を補ひて信じなば汝の心のたよりとなるにあらずや。其のみにても汝等の心安かるべし。あるかなきかと思ひ惑いて苦まんよりは寧ろなきと思いて、己の心にあるものとなして慰安を計ることは遙かによからん。
 斯くては真の神を己の心より作り出すことを得ればなり。さる人、智者に、「神ありや」と問ふ。智者曰く、「我、未だ神を拝せしことなし。されど神と云ふ文宇を知る」と答へしと。真にうべなり。真ならずや。汝等此言葉をよくよく翫味せよ。ありとかなしとかを考慮におきて、迷ひ迷ひて一生を空しくする勿れ。兎に角信仰を厚くして胆力を練り鍛えなば迷いも恐怖も自づと去りて影を止めざるに至るなり。繰り返へし繰り返へし云ふ。汝等自己を捨てよと。


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