覚者慈音669  未知日記 第三巻  念力集    伊東慈音

覚者慈音669
未知日記 
未知日記 第三巻      
念力集     
        その3      光の巻
        先づ恐怖の念を払へ


                 ミキョウ貴尊講述
                 テッシン貴尊講述
                 円海大師講述


 修行には苦痛はまぬがれじ。苦みて道を修むればこそその尊きを味はひ得るならん。神の道に歩みを進めながら臆病なるは信仰の念うすきか、或は疑ひの念強きかに依る。正しきか、又邪道なるかを考へてのち、神を信じて道を求めて足を入れたるにあらずや。然るに尚も疑念するは是悪魔の手我に伸びたるならんと考へて早く疑念を払ひて、真剣なる信仰に入ることに努力せよ。神は汝等の凡心はよく知り給へり。憐みを垂れ給ふ慈悲の手を差し延べ給ふをふり払いて、他よりの救ひに悩むこと勿れ。斯く説かば汝等滅後を聯想するならん。されど然にはあらず。迷ひの世界は汝等が今も住む所にして生涯迷ひて暮すを指すなり。滅後の事は語るとも詮なし。生きながら迷ふて己の行くべき道を知らずば、即ち心も身もおちつく宿はなかるべし。放浪の生活は寂しくはあらざるか。この世の迷ひを重ねて尚滅後の結果となるこの世に安定を得ば、滅後も迷ひあるべきことなきは当然なり。
 然らば何に依りて安定を求むべきかと云ふに、我は曰ふ、即ち神を信じて神の道を歩め。信念を厚くする他なしと答ふるなり。愚者は云ふ。神の道は窮屈にして身の自由を許されざるが故になすに不甚(はなはだしからず)と。汝等が思へる身の自由とは如何なることなるか。よく考へ見よ。だらしなき生活は身の自由にあらず。だらしなき生活は心のゆるみを生ずるが故に、病魔に犯さる。神の道こそ真の自由自在ならずや。窮屈と云ふは習慣なり。古き悪習慣がなさしむる現はれなり。是を捨てて新しき道に入らば初めは些か窮屈に感ずれども、少時馴るれば真の安楽となるものなり。
 慈音よ。汝は一日端座して膝をくづさずして平然たり。もし他人に是をなせよと云ふとも到底なし得るものにあらず。是即ち習慣性にして神の道も同様の結果となるものと悟るべし。世に習慣程大切なるものは少なし。又習慣によって生ずる障碍は多し。汝等は神の道を歩むことを習慣とすべし。他人に尊ばれんと思ふよりは、神に愛されんことに努めよ。他に敬はるれば、又他人より謗らるる憂ひあるのみ。神に愛されなば益々たかくさるる喜悦となる。

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