覚者慈音668  未知日記 第三巻  念力集  先ず恐怖の念を払え

覚者慈音668
未知日記 
未知日記 第三巻      
念力集     
        その2      光の巻
        先づ恐怖の念を払へ


                 ミキョウ貴尊講述
                 テッシン貴尊講述
                 円海大師講述


 すべて物事を苦に病む人は雑念を多くする原因となること多し。物事を速かに処理する人は雑念すくなし。老人は気ばかり苛りて身体自由ならざるを以て、腹立しく感ずるが故に愚痴をこぼす。物事を苦に病む人は恐怖心もきはめて強し。斯くすれば斯くなる事を考ふる時、次には恐怖襲ひかかる自分を考ふれば、なさんとしてなすはたはざる事多し。我心の縄は我を縛る。その束縛は喰ひ入りて自由を失ふ。我身の安全を計らんとして、却って束縛の苦悶にはまる。善悪の弁別ありて巳の安全を計りて行はざれば善悪は知らざるに等し。他人の為になす善は進んで行ひ、悪は退いて避くべし。斯くなす事は天理にして怖るることなく、行ふは人の任務なり。
 人の人たる道を歩むは恰も武士に守護されて大道を行くが如くにして危きこと更になし。危ふからずば焉んぞ恐怖することあるべけんや。夜の鳥は昼の鳥を守り、昼の鳥は夜の鳥を保護す。まして神の恵み多き人間に於てをや。神ありと思いて、神の恵あるを知らず迷ふが故に、恐怖の念は去り難し。自力的に囚はれて、己の力弱しと考ふれば、自然ひきこもりてなすことを恐れて進むあたはず。善事とは悟れど是をなさば我身危き事の来らん。先づ傍観して他にゆづれば我身安全なりと思いて何事もなさざるは、是即ち恐怖心なり。故に斯る事の念は早く捨つべし。
 神の道を信じて心に固く誓ひて行はんとする事は、神の命なりと信じて躊躇することなく、水火はもとより砲煙弾雨たとひ我身に如何なる危険来るとも、神命は黙し難しと心得、千万人たりとも我行かんの決意を固くすべし。斯くせば必ずや道は開らかる。地獄を通りこせば極楽、極楽を通りこせば地獄に堕つるの譬喩にもあるならずや。潔く進まば気光素は働く。
気光素の作用は大にして汝の災悪は取り除かることは疑ひなければ勇みに勇みて尽すべし。盥(たらい)の水も捨てかたによりては汚物を残す。人の行いも躊躇せば悪念を残すものと考へなば、なさんと決意したらば彼是と迷ふ勿れ。行はんとするにあたりて汝は考慮したるにはあらざるか。進まんとせば潔く進み、退かんとせば潔く退けとは自在論にて述べたる如くなり。恐怖心を離るれば勇気は出づるなり。勇気即ち気光素なり。気光素は霊光なり。霊光は何物をも照らす。悪は蔭を悦び、善は光を悦ぶ。小人閑居して不善を企つとは是なり。思いを裡に貯へて現はさざる小人は陰鬱なり。故に気光素は潜在して働きを静止するため、病苦を招く。朗らかに明るければ気光素も毅然として働くを以て病苦は退散するなり。躊躇する勿れ。大胆なれ。些細な事に迷ふ勿れ。物事にこだはり易きは我性分など称ふる人は、修養の足らずと云へることを告白し居るなり。自在論にて説きし如く焼き直さずばなほらぬと云ふ人なり。 

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