覚者慈音666  未知日記 第三巻  念力集    伊東慈音

覚者慈音666
未知日記 
未知日記 第三巻      
念力集     
        その1      暗の巻
       死霊と生霊


                 ミキョウ貴尊講述
                 テッシン貴尊講述
                 円海大師講述


 妄念執念より受くる障碍に死霊生霊に憑かれしと云ふ俗語あり。即ち生執念の働きにわざわひさるる事を云ふ。他より我に及ぼす念力を指すなり。是には死霊と生霊の二種あり。即ち彼より我に送りたる気光素の作用にして、是を鑑別するは甚だ至難なり。然れども是を見分くるには法ありて、会得すれば容易に判別する事を得。
 先づものの霊に憑かれたるか、神経性の病気にて恐怖症なるかを、第一に見分くる事肝要なり。恐怖症は暗示にて取らば治癒す。学者に云はしむれば婦人は教養浅くして迷信多しと云へり。然れども教養高き男子に於ても迷信あること今も昔も変りなし。如何に教養ある婦女子に於ても病症より来る神経症の病は避け難し。男子に於ても神経過労の結果陰鬱症、又は遺伝性精神病は免れ難し。わけても婦人には月経期より受くる、婦人病よりうける、神経性の病よりうくる、産前産後より来る障碍は、男子に比して多きが故に、迷信ならずとも神経性の病に悩まさるる事多し。故に斯る弱点に対して気光素の変化を来す其隙に乗じて、死霊生霊より発する気光素の働き来るものにて、男子に於ても又斯る事は見らるるなり。
 大胆不敵の悪人が獄舎に於て怨霊に悩まさるる事は屡々耳にするところなり。もとより良心の呵責もあり、又真実もあるなり。是等の事は前に示めしたれば省略す。
 人間の智慧には限りあり。修養の徳に依て外観には強硬に装へども内心穏かならぬ者多し。如何に賢明にしてすべてに理解を有する人と雖も、一度病苦に悩まさるれば小児の如く無理を通さんとするものなり。故に平素強健なる人は病苦を慰むる術を知らずして、病者より無情の人と怨まるるものなり。此理由より断定を下さば霊に憑かれたるか、病苦より来りしかが判明するなり。
 仮に一人の賢明なる婦人と対座する時、彼女の話す言葉を聞けば、言葉も整ひて人格の程度は察せらる。然るに少時談話を続くるうち、彼女の語調は稍々乱れを来し、些か癇走り呼吸も乱れを生ずるは、病気より来る神経にて霊の憑きたるにあらず。男子も同様なり。男子の異なる処は語尾の下がる傾向あるなり。然して淋しみを感ず。霊に悩まさるる人は病的にあらざる故に、談話に於ても平素といささかも異なる処なきも、話絶ゆれば身辺に或種の霊気を感じて、当人は淋しみを感じ居る如く見ゆるは、即ち他より受くる霊の作用なり。話中は退き、終らば又来る。是霊の障りと知らば可なり。
 霊は怨むものの気光素の弱りたる隙に来るものにて、相手の気光素強ければ来らず。生霊は陽にして、昼間にも来る。然れども死霊は陰霊にして夜間相手の気光素の弱度に乗ずるなり。又相手が病弱なれば昼間と雖も来り悩ます。生霊は夜更けては来ること稀なり。此事は霊を送るものが夜間気光素衰へる故なり。此事柄をわきまへて判断すれば、死霊生霊は明白に知ることを得るなり。加持祈祷によりて霊を除去んと計るも一時の暗示にすぎざれば、絶対に是を払ふことを得ず。此霊を払ふには気光素を強くするか、或は空源力をかりて霊の怨む理由をただして和解の道を計るか、或はかの者の回向をなして往生の道を開きやれば完全に解脱すべし。生霊については秘伝に講義せらるるを以て省略す。動物の霊を払ふことは前にも述べたれば、この辺にて暗の巻を閉ぢ、次は光の巻に移ることとせん。

×

非ログインユーザーとして返信する

あと 2000文字

※は必須項目です。