未知日記について   釈迦 が語る言葉も乞食が語る言葉も、理あらば是を正しとして用い、たとひ釈迦の 言葉にもせよ、理なければ正しからざるべし。理あらば乞食の言葉も正しと して信ずる底の智慧ならでは、世人の修養修行は全からざるべし。

 この未知日記という書は戦前、戦中、戦後の激動期に、天使の方々の啓示を受け、盲目の老人に執筆させた書であります。老人の名前は伊東慈音といいます。その手伝いをされた方が衛藤慈声という方です。この方の手記「覚者慈音」を掲載させていただきます。
 この手記は今、東京にお住まいの松尾東平さんに三〇年ほど前に、私が頂いたものです。年齢は九七才で矍鑠とし、声にもハリがあり、今も元気でおられます。こだま会という会の名称を命名された方であり、また未知日記という書籍を今も預かっておられます。いわば伊東慈音師の愛弟子にあたる方です。
未知日記一連は11冊の書籍から構成されています。それらを列記します。
一巻~四巻までを未知日記として一冊にまとめられています。
講師の方々の名前は
ヂショウ.サンキョウ.インショウ.ミキョウ貴尊。
コ-ケン.ムイ。リョウジャ.セイキョウ貴尊。
テッシン貴尊。
五巻目は感応論。講師はテッシン貴尊
六巻目は光明論上巻。講師は教主寛大、セイキョウ貴尊、テッシン貴尊。
同じく光明論下巻。講師はセイキョウ貴尊、テッシン貴尊、教主寛大。
七巻目はテッシン講録。講師はテッシン貴尊。セイキョウ貴尊。ミキョウ貴尊
八巻目は三世と四世論。講師はセイキョウ貴尊.ミキョウ貴尊。
九巻目は因果論。 講師はミキョウ貴尊。
一〇巻目は帰途案内記。講師はセイキョウ貴尊。
十一巻目は絶対界。講師はテッシン貴尊。
十二巻目は大霊界。講師は教主寛大。
別冊としてこだま会日誌。講師の方は泰岳大師(後のコ-セイ.ミキョウ貴尊)と円海大師(後のヂショウ.サンキョウ.インショウ.ミキヨウ貴尊)。
文章量はすべて格調高い文語体で綴られ、あの聖書のおよそ五倍位の量になります。

天使の方が云って居られました。


「汝等、仏教者が信ずる釈迦の言葉に「我は良医の如し。病を知りて薬を説く。服すると服せざるとは医の咎にあらず。」と語りたるにてはあらざるか。
仏教信者は釈迦と云ふ偉大な人格者に対してすら服するもあり、服せざるもあることを釈迦は余儀なしとして、斯かる言葉を残したるにてはあらざるか。
釈迦にして斯くの如し。まして慈音に於てをやと我等は思ふが如何。世人の心はかくの如き浅はかなる智慧より具はりあらざるなり。世人の口にし居る大名も乞食もおなじ桜花と云ふ句あり。この句の意味をよく考へ見よ。釈迦が語る言葉も乞食が語る言葉も、理あらば是を正しとして用い、たとひ釈迦の言葉にもせよ、理なければ正しからざるべし。理あらば乞食の言葉も正しとして信ずる底の智慧ならでは、世人の修養修行は全からざるべし。即ち大名の桜も乞食の桜も桜と云ふに変はりなからん。されど世人は大名の桜を尊び、乞食の桜を厭ふ底の修行なるが故に人智は進まず。よって今後誰の言葉にもあれ、正しければ信ずべし。たとひ人格高き人なりとて理なきことは信ずるの要もなからん」

と教主寛大は大霊界で述べておられます。
僕は以前に松尾さんに聞いたことがある。この未知日記は執筆されて時間も50年も経過している。日本の人々が此の書に注目するのはいつ頃かと。すると松尾さんは答えた。我々が生きて居る間は当分無理でしょうな。と云っておられた。


その最後の愛弟子である松尾東平さんが昨年お亡くりになられました。松尾さんから三十数年前にいただいたものがある。それは彼の兄が亡くなられて、慈音師を通じて語られた浮住界での実話です。いずれそれを公表したいと考えております。

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