覚者慈音655  未知日記 第一巻  行法    伊東慈音

覚者慈音655
未知日記 
未知日記 第二巻  行法    
第七     気光素を作る行法     
      その一
         
                 テッシン貴尊講述


 汝等は先づ肉体を離れて霊的にすべてを観察し見よ。然る時は世に死したりと云ふものはなかるべしる例へば汝の住める家について考え見よ。柱は家を支へ、屋根は雨露を防ぎ、部室は汝等を安らかに眠らしめ、壁は風を防ぎ、障子は光を入れ床は汝等を支へる等、皆生きてゆくことを知るべし。生きたるものに魂無かるべからず。即ち家も四線の法則に基きて組織されたるが故に、気光素の現はるる道理なればなり。又一塊の名木もて仏像を刻まば、高き処に祀られて人に尊ばるるも皆四線の法則より現はるる気光素の作用によりたるを知るならん。我、不動気或は動気なる言葉を用いたるも是等の事柄を説くに便ならしめんためなり。家も不動なり。人を住はすれば即ち動なり。家の不動には光を持つ故に、働く人を住はすれば動なり。動にも光ありてこの二つ融和して気光素を生ず。不動は動を生ず。この動を生ずるには何者かの力の働き名かるべからず。無其力は気と光なり。霊智慧は其作用を受けて動となる。所謂静とは不動を意味し動とは働きを意味するなり。故に先づ行法に於ては此理を応用して静なる時に於ても、常に汝が親に笑顔を見すべし。是は汝等も常に見ることならん。母に抱かれる嬰児は母の顔を見てにこやかに笑顔示すと同じきなり。汝等は肉体に顔を向けて、親を背になすを以て何日も不平不満の顔を作り居るなり。肉体を背後にして親に顔をむくれば自然に笑顔となる。汝は未だ嬰児なればなり。若し不平不満の顔色あらば肉体に顔を向け居ることと悟りて、早く親の方に向き直るべし。然して笑顔を作ることを忘れざるよう努むらば、行法の秘訣なりと知るべし。
 この法は汝等にとりて余りに平凡なりと考ふるならん。然れども決して平凡にあらず。是には意味深き働きありて、気光素は斯かる平凡と見ゆる中より生じ来ることは、修行するに従って汝等は体得するに至らん。すべてを親に委ぬれば汝には何事の不安もなく、心配もなければ平和なり。爽快となりて物事を処理することを得ん。斯くて追い追いに開らかれ行くは、真の楽みより楽みへと移され行くなり。心楽しければ身も亦かろし。懈(おこた)らずして行ぜよ。

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