覚者慈音656  未知日記 第一巻  行法    伊東慈音

覚者慈音656
未知日記 
未知日記 第二巻  行法    
第八     親に見ゆる喜悦     
               
                 テッシン貴尊講述


 世の中に親の情けを知らぬ子程不憫なるはなし。汝等は真の親の情けと慈悲の温みを知らずして、今日迄無情の日を過ごし来たれたるは誠に不幸不憫なるものなりしが、今母の手に抱かるるに及びて漏らす笑顔なることに心づかば、汝の肉体に覚ゆる温味は真の温味にして、爽快の気分となりて今迄とはすべてに変わりたる生活は営まるべし。
他人に対する親切も利己を離れたる親切となり、汝に接するものはすべて汝に帰するに至らん。然る時、気光素の作用は益々その度を加へ、親の慈悲益々加わり病苦も減退して真の悟りをここに得る事を得ん。
笑顔と云うもゲラゲラ笑へと云うにあらず。是は肉体の笑ひなり。我の云ふ処は心の笑顔なりと知るべし。ミキョウが説きし垢離せよと云ひしはここなり。身に付着したる垢は心の笑顔なる布によりてぬぐひ去られ、一切の汚れは洗われて清浄とならば罪咎は消滅する。然る時は汝を責めさいなむものあらんや。百才の童子となりて一歩一歩神に近づく道を歩むべし。急ぎて転倒するなかれ。危ふければ抱きてすぎさせ給ふ汝の親なり。汝等は親に見えし事によりて、動物性をはなれ、真の人となれる時、初めて今迄知らざりし喜悦を身に沁みて感ずる事を得るなり。笑顔を見する事は常住坐臥忘れず行ふものなれども、更に今ひとつ行ふべきことあり。汝等三度の食事の時、食を作り与へられたるものに感謝の言葉を送るならん。然りとせば汝をはぐくみ育て給ふ親に対し、感謝の礼を献げざるべからず。徒に親の情けに馴れて甘んじて礼を欠くは宜しからず。故に日々三時に感謝の礼を厳かに行ふべし。これ第三の行なり。手を合わさずともよし。唯心を正し、礼拝せば可なり。三法一体なれば、気光素は働く。
第一、自問自答。第二、心の笑顔。第三、心の礼拝。是即ち三法なり。この方法が次第次第に行はるるによりて潜在する気光素は頭を持ち上げ初むなり。三法断間なく行はれて身心魂の三つの力は一体となるによって真の信仰は得られるなり。真の信仰に迷ひなし。迷ひなければ正しき道は得らるべし。斯くて神の力加はること明白なり。汝等屈せず、たゆまず他に心を移さず行ふべし。この方法を軽んじ娯楽の気分にて行はば得るところ無きは勿論なり。親に問ふは迷ひを晴らさんための教えを求むるなり。心の笑ひは教へを得たる悦びなり。礼拝は教へによって救われたる感謝なり。何ぞ軽視する事やある。
我汝等に教へる処は決して不可能の事を示して机上の空論たらしむるにはあらず。深山幽谷に分け入りて難行苦行せよと勧むるににもあらず。日々の業務に専念するにも此の行力によって道は得られる事を教へたるなり。即ち政治家は政治を農夫は農業を商家は商業を工業家は工業を皆それぞれ持てる分野に於いて、己の親について教へを受けよとはミキョウは既に汝等に教へたる如く、我もこの事は双手を挙げて賛意を表して勧むるものなり。
第二の法に於いて常に心の笑顔をもてと云ふに対して、汝等は四十六時中、斯かることをなし得じと思ふは誤りなり。なし得ざるは汝の心は既に肉体に向けおられ居ると考えて、力めて方向転換を計るべし。常に喜びの心みなぎらば、汝に接する人々皆化せられて親しみを深くせん。即ち思ひ内にあれば色、外にあらはるる故なり。
次に第三の法について有り難し、忝なし、勿体なしと云ふ心の表現によって、真の慈悲は養はれて汝に来る者悉く汝を慕ひ来る事、火を賭くるより明白なり。来る者は共に手を携へて道につかしむべし。去る者は追ふべからず。其は道を惑わし穢すものなればなり。この第三法は苦しくともたゆまず行ふべし。
此第三法によりて現はるる気光素の力の如何に顕著なるかは我は語らじ。汝等此のすべての法を行ひて体得せば、明白に知る事を得るにより楽しみて行ふべし。
更に今ひとつ一大事は死生のコンマを外せよの項に於いて説きたる法なり。その方法は重大なれば、朝夕はもとより四十六時中覚悟せざるべからず。故にこの法を加へれば三法一法即ち四線の法則は完全となり、更に二性の理論はここに成立し、従って神通力は通ひて不変不動の境涯に達する事を得る。次の篇は行法秘伝にして一般に公開することを得ざるなり。何故ともなれば此法を公開にせば、濫用せられて悪用を見ば、害おおくして益少なければなり。
我慈音に告ぐ、秘伝を受ける時は先づ一法を受くるにあたり、身を清め心を正しく、且つ教へられし法を自ら行ひて、法をなし得る迄は次の法を学ぶべからず。是汝に与ゆる注意なり。
チ。シュ-。キュ。ジョ。ギョ。コゥ。フク。セン。

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