覚者慈音651  未知日記 第一巻  行法    伊東慈音

覚者慈音651
未知日記 
未知日記 第二巻  行法    
第五     気光素の原理     
      その一
         
                 テッシン貴尊講述


 ミキョウの命名なしたる名目をそのまま継承して、我も気光素と用ゆべし。宇宙全体の形象あるものの全部を取り去らば、残るものは無と答へん。即ち無となるは皆一様の考へなり。宗教者に於て、此無について種々の論議をなす。其理論は別として、先づ物なくなりし無を云ふのみに止め、こむづかしき論旨は避くべし。例へば器具の空気をぬき去らば、後には何もなしと云へる無なり。空気を取り去らば無空気状態となる。其無空気を不動気即ち動かざる空気と命名す。無空気が不動気ならば空気は動気と云ふも可なるべし。
 例へば地球の表面空気のある所を動気帯とすれば、地球をはなれたる所の無空気状を不動気帯とも云ひ得るなり。気光素を説明するについて、便宜上斯る名称を用いたるにて他に意味あるにあらず。故に深く考慮を用する勿れ。唯空気を動帯として、又無空気を不動帯として説明せば、気光素の原理を知るに便なりと思ひて用ゆるなり。
 不動気の中に生物を入るれば死すれども、是と反対に生物となるべきものを入るれば、長く保存し得ることは人のよく知るところなり。この理を推して考へ見よ。生物全体は不動気の中にて死滅するとは云ひ難からん。不動気には最も大切なる作用を有することに気づくならん。我、不動気と命名したる所以も是がためなり。唯無空気と云へばすべては無と考ふるもの多きが故に、わざと特殊の名を用いて耳新しくなしたるなり。不動気なるが故に、動気と和すれば、更にこの能力を増すは当然なり。
 無機化学の理論をいささか研究して近頃電気の真空管に意を用ゆれども、不動と云ふ事に意を用いず、唯無と有との観念より研究を進るにより、この達成も遅れたり。今後は
不動と云ふ観念にて研究すべきなり。
 宇宙はこの不動気に包含されあらば、不動気は場所を択ばず何処にもあり。空気の如く場所を要するにもあらず。是を空と信ずるは誤なり。空と云ふは即ち不動気の作用を空と云ふなり。故に空源力とは不動気の働きの源と云ふことを知るべし。

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