覚者慈音643  未知日記 第一巻  行法    伊東慈音

覚者慈音643
未知日記 
未知日記 第二巻  行法    
第二    昔を捨て昔にかへれ     
その三    その壱

         
                 テッシン貴尊講述


 黒き石を立派なる布に包みて二重三重の立派なる箱に納めて是は我家の宝なりと秘蔵せるあり、開き見れば、何ぞ計らん。一塊の石炭なりき。又襤褸布に包みたる珠を物置の隅に転がしありしが、是は世にも類ひ稀なる如意宝珠なりしと云ふ、此話を汝等如何に解するや。
 石炭を宝蔵に納めしも無智なり。明玉を下家に捨てあるも亦無智なりと嗤うや。若し嗤ふとせば、汝等も亦無智なりと嗤はるべし。何となれば石炭も宝にして明玉も亦宝なればなり。石炭は燃ゆる石なりとて珍重され、珠は何なるかを知らざるために疎んぜられたるのみ。汝等は真の神を下家に入れ、影を宝蔵に納めあるにてはあらざるか。
 すべて人の行為には斯る過誤ある事柄を列挙せば枚挙に暇あらず。此石炭を宝蔵に納めて、石炭の働きをなさしめずば、何の価値もなし。明玉ももとより法を知らざれば何処にをくも可ならんか。人界に於て尊ばるる金銭は戦時にある今日一椀の飯と何れが尊きや。一個の弾丸にも及ばずと云ふにてはあらずや。神の作りしもの宝ならざるは無し。行法に於ても皆然り。思ひがけぬ処に思ひがけぬ法力ある事を見のがす事勿れ。
 下家にすてられて顧みられざりし玉には、人の心を映す気光素の働きあり。一塊の石炭とは比較すべきにあらず。然れども是は数少なし。石炭の如く数を多く望ましく思ふならん。是は人界の学者の研究の至らざるに依るなり。恰も一塊の石炭を宝として秘蔵せし昔の様に同じ。如意の珠は商品の見本の如きものなり。未知線は破壊線なれども、如意珠は組織線にして、其威力は未知線の比にあらず。今尚此珠を汝等に示す事あたはざるを遺憾とす。時至りなば見する事もあらん。真のものを示めす迄は百聞一見に不如の比喩もあるを以て、此比喩は是迄に止めん。故に昔の人を無智なりしと嗤ふ勿れ。  
 汝等今の世に至りてすらこの明玉を知らぬにてはあらざるか。昔の人は迷信多かりしと嗤へども当今は迷信すたれたりや。智識階級に迷信多きは何故ぞ。我行いを省みず、昔を嘲笑せんよりは早くすべてを修め、明らめて迷信者なからしめよ。結核患者に栄養を与えず、加持祈祷を行ひ死に急がしめ、精神病者を狐狸の仕業なりとして、残虐の死に至らしむる等、現在も尚行はれつつあるは学者の科なり。又是に反し正しき行ひをなす者の行ひを究めず、迷信なりとして是を等閑に附する如きは何たる愚ぞ。学者は学に囚はれて却って理を見のがす事あり。


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