覚者慈音634 未知日記 第一巻  自在論    伊東慈音

覚者慈音634 未知日記 第一巻  自在論    伊東慈音
未知日記 第一巻  自在論    伊東慈音
第五章       自在観
第三節       親子不可分    其の1
               
       
              インショウ、ミキョウ貴尊講述


 肉体の保護者は汝なり。汝の後見者は汝の父母なり。然るに汝等は父母に談合せずして、他人に相談するは正しきか。他人は汝の家のみ世話せっかいなすものにあらざること、浮世の習慣ならずや。汝の父母は汝をはなれず。耳をそばだて眼を見はり、汝の一挙一動に留意して油断なし。然るを其情に馴れて父母を疎んずるは宜しからず。孝子は国主に我は親より尊きを知らずと云いしは是なり。汝は神を知らずとも先づ父母を知るべし。父母は汝を育てあげて神の御力に縋らす迄は汝をはなれざるなり。汝坐してよくよく反省せよ。此父母の慈悲心を知らずして、父母の姿に触れずとも、斯る説を聞かば自づと涙催し来らん。其涙は真なり。疑はずして涙なきは人にあらざるか、或は無神経なるべし。聖人君子は形容を正して黙祷感謝すべし。
 汝は父母を離れて何処に行かんとする。其目的は何なるか。外を求めて空しからんより、一室に閉じこめし父母の部室の戸を開きて誘ひ出さば、父母は汝の願ふこと悉くを叶へしめ給はん。汝等が今日迄に感じたる経験の内に、無心の報知ありし事を感じたる事なきか。何となく胸騒ぎを覚えしとか、何日も思はざりし人の事を、胸に浮べ居りし時、其人の通信を受けしとか云へることなきか。又神経過敏なる病的婦人などは、其人の幻影を見るあり。或は他人の言葉を虚空に聞くあり。斯くの如きを無心の報知或は虫のしらせと世人は語る。或学者は人体エレキの作用と称し、或者は斯ることは自己暗示の作用にて取るに足らずと云ふあり。論説区々として未だ此理を究めし者なし。
 深山幽谷にありて修行し居る行者達、盛んに是を究めんとして難行苦行し居れり。中には行を終えて行者間に報じあいをなし居れり者もあり。昇天の行を終えたる者は、霊界と自在に語らひて教へを受け居る者もあるなり。然らば此法を修得せんと欲せば、深山幽谷に分け入りて行ぜざれば修得なし難きものとせば、実に神の力は取るに足らぬものなり。神の力は斯るせまきものならねば、汝等に於ても此理論は明白に悟りて、在家にありても鍛錬することを怠らずば必ず希望は果さるべし。
 先づ例をもて示さんに此処に一人の友ありて、今将に天命を終らんことを観念す。此時彼の霊は働きを始むる事となる。斯る時にあたり彼は生前親しかりし友に別れん事を描く。然るに一方受信者の霊は遠方にありても、霊よりの発信するを受けて心に伝ふなり。即ち虚空に距離なしの例に依るなり。是は人体エレキにもあらず。又無心の通報にもあらず。唯気光素の作用に依りて、霊と霊を融合したるなり。気光素の作用は斯る不思議の作用をなす。是其人々の特性により眼に映るあり。耳より伝はるあり。心に浮ばするあるも、理論の大要を一括すれば斯くの如き理由なり。


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