覚者慈音633 未知日記 第一巻  自在論    伊東慈音





覚者慈音633 未知日記 第一巻  自在論    伊東慈音
未知日記 第一巻  自在論    伊東慈音

第五章       自在観
第二節       縛より脱せよ    其の4
               
       
              インショウ、ミキョウ貴尊講述


 さて垢離すと云ふはすべての垢をさりて、清浄に清むるを云ふ。心の垢はくもりなり。縛られたる縄を解きたりとも尚未練の残るはくもりなり。未練執着は恰も墨汁の汚点の如きものにて、容易におつるものにあらず。薬品も必要となる。清き水も多く必要とならん。薬は法なり。水は錬磨なり。忍耐なり。
 例へば愛子を失へる母は、その愛情と骨肉の絆は、他より如何なる慰めの言葉を以てすも、消滅するものにあらず。泣き悲しみの日を経て、何日か消え行くものなり。如何なる法を以てしても他力は及ばじ。唯相対なるが故に時間空間の薬にて、自ら自然に洗ひ清める方法あるのみ。時間すぎても痕跡残りて、折々思ひ出して涙するなり。是即ち汚点なり。
 肉体は他人の力に依らざるべからず。即ち病は医薬に、食は農夫漁夫調理人に、被服もみな其々の人の手に、住屋に於ても亦然り。されど心は何に依るべきか。即ち神の力と智慧と霊によりて工夫せざれば人力の如何ともなし難し。垢離するとは分解法にして種々なる工夫をこらして心の洗濯をする事なり。親にあたる霊の力と智慧とにて工夫し磨き上げ、光明を放射する方法を垢離すと云ふなり。
 心の輝きは智の輝きなり。智は心の底より湧き出づる泉の如く、汲めども尽きざるなり。心清ければ智慧の水も亦清し。智慧と工夫とにて分別なしつつ一々の汚点垢を洗ひおとし、智慧の及ばざるは親に願ひて神の力を借りて清め、更に修養の力にて磨きをかくれば光沢は出づるなり。洗濯物を乾かさんとて竿をおとし、再び洗ひて又干さば、暴風にとばされ三度四度洗ひて、日没に至る如き憂あるに依りてよくよく注意せざるべからず。身体に於ける日常生活に於てすら尚斯くの如し。況や魂の修行に於てをや。
 一度あやまてば地に堕ちん。常住坐臥油断あるべからず。天文地文の道開らけざる昔の人は、みな死すれば月の世界に行くと流布されて、是を信じたり。又極楽は西にありとも説かれたるを深く其理を悟らず、唯西にありとのみ信じたり。昔の人は正直なりしやと云へば、今の人と比べて大差なかりしなり。教への道は劣れるなり。然れども信仰に於ては現在の人の比にあらず。現在は僅少ばかりの智慧に依りて神を疎んじ、文化々々と科学に任せんとする傾向あるを我等は苦々しく考ふるなり。神の力無くんば科学も成功を収むるあたはずと云ふに心致さば、科学の道は却って速かに達成すべきなり。月には暗あれども、心の月は暗ある事なく、地球の肉体を照す心にかかる雲を、真の信念に洗ひ清め、吹き払いて、雲の太陽の光に輝かす工夫こそ願はしけれ。
 言葉は信の心より出でたるにあらざれば清からず。表裏ある言葉はくもりなり。くもれるは神に通ぜず。又人をも感化することを得じ。その言葉は拙劣なりとも、真ならば鬼神も感ず。如何に巧にして高級の言語たりとも、真なき信うすし。肺腑をついて出づる人の一言に消さる。垢離したる心に塵附着せぬやぅ、常に心がけること肝要なり。幾度となく静座して払ひ清め、空しきことを考ふる事なく、すべての用心肝要なり。斯くして漸く光源体性の作用は清光を見たるなり。 

×

非ログインユーザーとして返信する

あと 2000文字

※は必須項目です。