覚者慈音626 未知日記第一巻 四線の応用 インショウ.ミキョウ貴尊講義(現セイキョウ貴尊)

覚者慈音626



未知日記 第一巻  自在論    伊東慈音
第四章       四線の応用


第一節


              インショウ、ミキョウ貴尊講述


 霊は夫婦の和合に融和されて宿るなり。人間は常に同じからざる故に、其和合に対しても心同じからず。心穏かならば自ら是に融和する穏かなる霊宿る底の類なり。又空源力の力に依りて、己との同化を計りて宿るもあり。四線の法則に合はざれば宿るものにあらず。
 然らば胎内に宿りて死するは如何にと云へば、是は母体との融和の過失にして因縁にもあらず。生れて直ちに死するも、此四線の法則に外れたる結果にして、其死せし者は直ちに他を択び宿るなり。俗に死あとは早しと云ふも是なり。此他に天寿を全うする能はずして死する霊は、是を全うせんが為に宿り希望を果たして去るもあり。幼にして死すれば賢しと云へるも、斯る霊の生れたるならん。追究すればすべて因縁因果には相違なけれど、唯此因縁因果の道理を究めずして、天は無情と其罪を天に帰するは愚なることなり。故に賢き子を儲けんとせば、四線の理を悟らずして徒に婬せば、邪淫の結果は悪行とならん。

 邪淫は何故に悪きかと云ふに、肉体欲求を充たさんとするにより、心の破壊と肉体のみにて、分解組織に欠くる故なり。神聖なる恋愛は相互の心の破壊に始まり、互に分解融和し、然して真の愛を組織して更に気光素を増進する事に帰す。故に同心一体の愛となるなり。
 長者の家の子と生れ不自由なきに盗み、又邪淫する者の胎内に宿れる聖者あり。宗教家は前世の宿業として簡単に是を処理す。そは罪悪を犯さしめん事を怖れての方便ならんも、四線の法則は是を等閑に附する事あたはず。長者の家に生れ盗みする者に二種あり。家庭の紊乱(びんらん)より来るものと、夫婦和合の時、夫婦の邪淫によりて悪霊の入りたるもの是なり。又邪淫者が胎に宿るも、是は邪淫に似て邪淫にあらざるにより、知らず精霊の誘ひ入れられたるなり。斯るためしは数多ければ、よく推理して観察すればすべてを明らむる事を得ん。然しながら多くの邪淫者の国は優れたるもの少なきを見る。

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