覚者慈音627 未知日記 第一巻  自在論    伊東慈音


覚者慈音627
未知日記 第一巻  自在論    伊東慈音
第四章       四線の応用
第二節


              インショウ、ミキョウ貴尊講述


 四線の法則は数学の加減乗除の如し。除するは破壊を意味し、減ずるは分解を意味し、加するは融和を意味し、乗ずるは組織を意味す。是を用いて未知数の根を求むるに等し。凡そすべての道理を究むるも、常識より究むるも、未知数の根は正確ならざるべからず。即ち夫プラス妻、答え子と云ふを正とせば、融和より子を組織したる結果となる。又生より減く生命、答へ死とならば分解より死の破壊となるが如し。人心は常に気体性と光体性の二性の働き居るを以て、右せんかと云へば左せんと云ひ、進まんかと云はば退かんと答へる如き、両性の表裏相廻り居る事はよく経験あることならん。
 例へば彼は立身出世したりと聞かば、口には喜びの言葉を出せども心中には嫉妬の心を生じ、彼何者ぞと考ふるは即ち二性の働きにて、破壊と組織が車の両輪の如く働く故なり。是を結合する事に依りて斯る心は減ずること疑ひなし。四線の法則に依りて結合せしむべし。
 太陽と同一速度にて地球を一周すれば、夜の世界は無かるべく、夜と同一速度にて一周すれば昼はなかるべし。此理を一言にして云へば、夜は日の影なりと云ひ得らるるなり。然らば禍福に於ても福のみ追はば禍はなく、禍のみ追はば福はあるまじ。故に破壊と組織と此理によらば、一体の境地に達することを得べし。すべて法を会得せんと思はば広く一般の理を明らかにして真を究め、疑を晴らさは、前例に見る如く真の信なるを以て法の力も増すなり。
 信仰厚き者の呪文は言句あやまりありとも効あり。信仰うすければ正しき言句も効なし。世間に流布さるる「コンプラ、スロダク」なる言句を、「昆布は酢でたく」と称へて効ありしと聞けり。信仰の力は斯くの如く大なるものなり。されば気体性光体性を一に結合し得る方法に於ても、気体性のみにすれば光体性は影となり、光体性にのみすれば気体性は影となること明白なり。組織には破壊を伴ふも、和する法もあることに留意すべし。自然には自然の恩恵あり。、恩恵に従って始めて法を全うすることを得るなり。
 此法を修めんとせば、先づ幼児より受けたる習慣性なる自尊心を捨っべし。是破壊法なり。身を低くし心を柔らげる時、すべては分別力は生じ来る。是分解法なり。然るのち除々に天よりの使命を考へて、融和し、更に進んで使命達成を計らば組織は成就す。
 例へば友の出世を聞きたる時、己より彼が勝れたりと悟らば、始めて破壊法は成立せしなり。次ぎに彼は正しき道を歩みて成就せしか、不善の道を歩みしかを究めるは分解なり。正道を歩みしと知らば彼の徳に順ずべし。是即ち融和なり。然して其行ひに依らば成就せん。是即ち組織なり。徒らに労して行はざれば、破壊線のみに帰するを以て何事も空し。
 短気なる人は破壊性なるが故に、心身共に亡ぶ。又優柔不断の人は分解性融和性なく唯破壊より組織となるに依り失敗多く、心身の疲労のみ重なりて成功するあたはざるなり。四線の道理を外しては整ひ難し。
 人生以て主眼とする生死論について、宗教者の称ふる天国地獄論は、昔と現今と人智の見解に変化を来したれば、古代の教へを今少しく工夫して現今の人智に適合する事実にあらざれば、宗教は成立せざるのみか却って衰退する結果とならん。生るれば死するは当然なり。何ぞ宗教の要あらん。天国地獄は生中に在り。何ぞ死後を択ぶ事あるべきと冷笑し、又死は燈火を滅したるに同じ。霊魂は不滅なるに依りて行く処に行くならん。霊魂に肉体なければ如何なる苦痛も堪ゆる事を得ん。もし天国地獄が死後あるとすれば、我等が父母、兄弟、知人など我等に伝ふべけれど、未だ聞きし事なきを見れば、斯る事は宗教者の創作にすぎざるなり。即ち人界の融和を計る方便なり。地獄極楽は肉体を離れてある事なしと、嘲笑する輩は多し。故に智者は悟れども愚者は嘲りて却って世の中を悪化させ善導の妨げとなる。斯くて却って悪思想を普及さす結果を生む宗教者さへ出づるに到らん。

×

非ログインユーザーとして返信する

あと 2000文字

※は必須項目です。