覚者慈音621 気源体性

覚者慈音621


未知日記 第一巻  自在論    伊東慈音
第三章       気源体性


第四節
              インショウ、ミキョウ貴尊講述


 外観を大別すれば、眼と耳は組織に属し、鼻と口は破壊に属す。又頸と頭の関係、胸と腹、手と足、足と頭の関係等この両者みな組織破壊に区分さる。然らば霊なるものの如き、気体に属する気体光体の様は如何にと云ふに、汝等は次の事柄に留意せば自ら自覚し得る事を得ん。肉体は会社工場の如し。霊心意みなその役長なり。役長は役室にのみ止まり居るものにあらざる事を知らば理解することあらん。
 肺、心臓、肝臓、胃腸みな機械にして、是を働かすものは機械主にして其々の担当者なり。もし機械に支障あらば、各所より集り来りて是が修繕をなす。医者は材料を供給するにすぎざるなり。病を治するは医者にあらずして機械の担当者なることに心附かば、治する道も自ら開らかるべきなり。故に心平なれば病すくなし。徒に心を労するが故に組織線に支障を来し、破壊線が発達するを以て病を起す。一方働き一方遊ぶ故なり。全体心を一にして働かば、機械も病み止まる事なし。是を慮って工夫すれば病魔の苦をすくなくする事を得。所謂全身一様に心を配りて故障なきかに見張るべし。然る時その見張りの部分を照らすは気光素なり。光体性に融和して加熱を拡大せしむる力を与ゆるなり。気光素は命数の尺度ともなり、又心の尺度或は人格の尺度ともなるなり。
 猛獣の恐ろしきも其光の作用なり。死期迫れる人はその光乏しくなるによって、自然淋しさを感ずるなり。又静座して工夫するも、此光の拡大によりて、霊の作用を向上せんことのためなり。修養をつみ行を盛になすもみな此光の増大を計らんとするにあり。徳をつむと云ふも亦然り。此光は空源力の気体性より生ずる恵の光なりと云ふも、敢て過言にあらずと思考す。

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