覚者慈音51  未知日記講義第一二巻  大霊界  巻の壱  神を知る端緒となるなり  教主寛大講義

未知日記講義第一二巻  大霊界  巻の壱                                NO 11神を知る端緒となるなり                                                                     教主寛大 講述


 円海は空の中の実を知り得て、汝等に語り居れど汝等衆人はその居に至らざるが故に、実を実として悟ることを得ざるなり。予言者は唯空なる中に斯るものありやも知れずと、推理より語るにすぎざれば実ならず。故に適中すること少なし。円海の如く此の道を行かば此所に達すとの事実を知るよって語る言葉に狂ひなし。彼は見聞して己に知り得たる事の他は、彼と雖も知らざる事は知らずと答ふるに躊躇せざるなり。知らざることを事実の如く語る如き愚かさをなすものにあらず。知らざる事を知らずと答へても恥にはならざるなり。汝等衆人の中には知らざる事を知りたる如く語り居る人は多し。其等は智者にあらずして愚者なり。円海が昭和25年1月20日のこだま会に於て語りし如く、動物性と人間性の区別を語りて、動物性を歩みなば永久動物にて終はらんと教へしはこの理に基づく。人間性を動物性に引き入れて歩を進め居る人は余りに多し。是を反対に動物性が人間性に従ひて歩むならば、人間の至るべき所はいよいよ向上せられて。或は仏とか神の境涯とかに進化するは、是正しき道なり。彼の教へを聞きて覚る人は少なかるべし。一大事を聞きても悟らずば、有り難しとか勿体なしとかの心は湧き出で難し。己の心に有り難しと云ふ真の思ひをひき入れらるるにあらざれば、人間性とはならざるなり。感謝する心は動物にも備はりあるなり。されどその感謝は一時的にして忽ち消滅す。其が人間性ならばその有難しの念は、益々増大して消滅することなく加はり行きて、果は勿体なしと云ふ思ひに化せられ行くなり。この心に変じ行くは動物性にあらずして、即ち人間性にあらざれば得難し。動物性の感謝は一時的にして、人間性の感謝は永久的なるが故に、其が拡大し行きて果は慈悲と云ふ神の心に同化せられ、然してその同化したる思ひこそ神を知る端緒となるなり。
 円海の教へし言葉の中には一大事ありと語りしに対して、汝等衆人は何なるかを知らざるならん。今少しく年月を経ばこの言葉は事実に現はるべし。円海はこれを知るによって動物性と人間性の二つに区分して、来るべき事柄を暗黙の裡に語り聞かせ居るなり。其は何ぞ。汝等衆人の住む地球のなり行きを語りたるなり。今や汝等衆人の地球は動物性と人間性とに似たる世の中なるによって、其末路が如何になるやを語りたるなり。汝等地球の現状は一方は冥道に、一方は光道に別れて互いに進み居る姿を暗に諷して動物性と人間性とに比喩をなして示したるに他ならず。汝等衆人この点に着眼して将来を推理せよ。然らば結果は明らかに知ることを得ん。我は斯くとのみ語りをくに止むべし。

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