覚者慈音52 未知日記講義 大霊界 選魂所について   教主寛大講義



未知日記講義第一二巻  大霊界  巻の壱                               NO 12選魂所について                                                                            教主寛大 講述


 我、斯る宗教くさき事を論じたるは他ならず。汝等衆人は今後あやまちたる道を歩みて動物性の世界を組織するならば、人間性の世界は亡びて再び三度魔道に陥り、天界に来るべき道を失する憂あるを慮って、汝等衆人をして迷はしめざらんがため語りたる迄なり。
其は別として人間、動物性を離れて人間性となり、人間性を向上せしめて軅て天界に至らしめんとして、道を教へ居るにすぎず。よくよく是等の言葉を聞きて大悟せずば、我等の教へは徒労に帰す。迷はず我等に従ひて歩み来たれよと勧むるものなり。ながながと余事を語りて無言詞界をおろそかになしたる責は我是を負ふべし。
 話を逆上って前にかへさん。天界の門をくぐりて先づ第一に運ばれ来る所は、選魂所なりと語りたるところより話を進むべし。肉体を地上におきて魂を天界に迄のばしたる汝等衆人、その後は如何なる姿に化せられ行くや。先づ天界に一歩を印して来りしところは選魂所なり。このところに来りて皆々魂が彼方此方と選抜せられて、ここに始めて第一の任務に服す。是を昇天の行と云ふなり。
  さりながらここには種々様々の異なりたる任務ありて一様ならず。たとへば慈音の如く選魂所に学びて、彼方此方と天界の様を見聞して其に依って覚りを得せしめらるる者もあり、或は肉体を離れて後この所にて学するもあり、又円海の如く下界天界を常に往復なしつつ衆人のために働きをなして、直ちに召されてミキョウの座におかれて広く任務をなすもあるなり。是等の事柄を語り居りてははてしなし。
 選魂界と唯一概に称し居れど、その範囲極めて広くして一様ならず。各区に区分されて皆其々其々の経路より入り来るものを取り扱ふ処にして、浮住界より選抜されて入り来るもあり、又魂屑として棄てらるる所もあり、是を一朝一夕に語り尽すことは容易の事にあらず。選魂したるものの中より択ばれて一時その居に於て更に行ずるもあり、其らが又洗魂所に移されてその所にて学するもありて、是等三階を総称して選魂界と称し居るなり。衆人の如く修養して直に導かれて来りたるものと雖も、その程度によりて移さるる所は千差万別にして一様ならざるなり。肉体をはなれて導かれ来る者の、修養修行の困難なりと語りをきしも此事あるによってなりと知るべし。これらを細々語り居りては枚挙にいとまなし。又斯ることをくわしく知るの必要もなからん。汝等衆人は我等に従ひて学び居らば、我等は適当なる処へ導きて迷はすことをなさざるなりと知りてよくよく学すべし。肉体を有する間に早くこの選魂界の事を知り得る力を養ひをかざれば、肉体滅後となりては選魂界に入りて、その範囲きわめて広きため迷ひのみ多くして、定められたる所にをかるるとも、其が如何なることかすら判明せざるため、唯茫然ととしてなすがままにせらるるの他なければ、目標を失ひてめざむる迄は転々として浮住するの他、何等なすすべを知らざる底に化せらるると承知せよ。故に肉体を有する間に此事を知りおきて、上昇せば斯る迷ひはあらずして覚醒も早く、行くべき目標を定むることを得るなり。洗魂せられたる姿は覚醒せられたるものにてここに始めて、天界の光明を得て如意界の居に進むなり。斯くなればたとえ肉体を地上にをくとも何等未来に迷ひを持つことなく、死するも生くるも其は特節を待つのみにて、魂の苦痛なやみ等は消滅し、肉体を有しながら天界の光明を得て生より生へと生を追ふて進行することを得るなり。是を真に覚りたる人と云ふなり。所謂俗に云ふ活仏の姿とは是なり。動物性より人間となり仏となると云ふも、選魂界迄自由に往復することを得る力を、肉体を有する間に整へをくこと肝要なり。

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