覚者慈音607    急がばまわれ

 

               三世と四世論
           未知日記第八巻
           第四の巻
           来世の巻                                  其の157
    第五     来世の希望は如何
     三     急がばまわれ                                其1                 
             リョウジャ.セイキョウ貴尊講述


 真の心を求めんとならば先づ日々の業務を真心より行うにあらねばその業務は完全の結果とはならざるべし。されば汝等明日より明日へと希望をすてず、行いの上に注意に注意を重ねて進まざるべからず。是即ち未来より来世への歩みなるべし。専門的に行ずるが故に急がざるべからず。急げばその道の遠きを近からしめんがためにはげしき歩みを進めざるべからず。かるが故に難行を重ねずば目的は達しがたし。されど未来は永劫なれば汝等の行は時間に囚われず、又急ぐの要もあらざるべし。故に道をふみ迷わざるよぅ一歩一歩注意しながらさわがず急がず歩みを進むることによって望みは達せらるるなり。所謂標題の如く急がばまわれの諺となり、何時かは目的に到達するは必定なり。急ぎてあやまちたる道を近道としてふみ入らば又ももとの位置に引き返へすの他なかるべし。道は遠くとも正しく歩むに於てはふみ迷うの憂なく却って早く到達すること疑いなからん。一歩進めばその一歩は既に来世に近し。又その一歩は未来より来世となり居るなり。先に語りたる如く望遠鏡を用いて遠きを近きにひきつけ或はこれを逆視して近きを遠きに走らしむることはなし得れど、肉体の歩みには一歩一歩運ばずば望遠鏡を順逆視する如き歩みはなしがたきことは汝等も諒しあるならん。望遠鏡を以てして遠きを近きに近きを遠からしむるはこれ即ち法なるべし。さりながらその法を己のみのと化せしめて自由に遠近を自在ならしむるには何を以てして是をなさしむるかをよくよく考察するの要はあらざるか。汝が肉体を望遠鏡化せしむるにあらざれば目的は達しがたし。されば汝等の肉体を望遠鏡化せしむる法やあるかなきかを思惟し見よ。
 汝等望遠鏡によって天体を観測しこれを数理に換算して距離を計る術そなわりあれど、事実肉体をそのところに自由自在に運びてその真相を見きはむる器具は未だそなわりあらざるならん。地球よりわづかへだたり居る月界にすら未だ往復なしたりと云うことを聞かず、不完全なる望遠鏡によって不完全なる見学をなし居るにすぎざるならん。百聞一見に不如、事実月の世界に肉体を運びてその様を見聞なしたるにあらざれば完全なる証明を発表することは得ざるべし。肉体の目耳はその所に運ばざれば正しき証明をなすことを得ざるにひきかへ真心のまなこは宇宙に同化なしたる眼耳をそなへ居るによって明らかに何処の世界をも見聞なす力を有す。宗教者は是を天眼通とか地眼通とか称し居るなり。

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